震災の町に育つ 甘くて大きな「太秋柿」――かがやいてる、元気な農家

PR BrandVoice PR

  • ブックマーク

 毎年のように繰り返され、私たちの暮らしを直撃する自然災害。2016年4月16日(本震)に起きた熊本地震も記憶に新しいところです。熊本城や阿蘇神社など地域の宝の無残な姿が今も思い出されます。中でも大きな被害を蒙ったのは、24人の大切な命が奪われた熊本県上益城(かみましき)郡。震源に近い益城町(ましきまち)には、横ずれした断層が露出している麦畑が残されており、最大震度7という地震の激しさを物語るかのようです。

 あれから3年半。その震災の町を訪れると、ざっと120本もある木に「太秋柿(たいしゅうがき)」という甘くてとても大玉の甘柿がたわわに実っていました。農園の主は高木克己(たかきかつみ)さん(59)。

 益城町小池の高木家も、父親の住む家屋が大規模半壊、高木さん夫妻らの住む家屋も半壊の被害を受けました。「JAグループの支援隊や市民のボランティアの方々には本当に助けられました」と当時を振り返ります。幸い、柿の農園の被害は少なく、その年の秋も順調に実をつけました。「柿をお世話になった方々にお送りしたら、とても喜ばれ、“こちらの方が元気をいただいたようです”というお礼状ももらいました。それを読んで、こちらもまた元気が湧いてきた」

 農家とボランティアの皆さんの間で“元気のキャッチボール”が交わされるなんて、本当に素敵です。

 メロンを栽培する農家に生まれた高木さんは、熊本農業高校に入学し、農業土木の基本を学びます。また陸上部の長距離選手としても活躍。高校卒業後は、長らく、土木関係の仕事に就いた後、55歳の時、父親の農園を引き継がれ、柿、それも富有柿の1・5倍の大きな実がなる「太秋柿」栽培を始めます。

 なぜ「太秋柿」だったのでしょう? 「土づくりアドバイザー」の資格も持つ高木さんは、「この土地には絶対、柿が合う」と思ったのだそうです。地域を管轄とするJAかみましきの柿部会には42人の柿農家があり、その主力品種は「太秋柿」。実際、味わってみて、その甘さ、シャリッとした梨にも似た食感に惚れ込んだ高木さんは、第二の人生の行く末をこの贈答用ブランド高級柿の栽培に委ねます。私も味見をさせていただきましたが、確かに甘くて、シャリシャリ感がすごい! 果頂の表面に「条文(じょうもん)」と呼ばれるシワが見られますが、これこそ、糖度の高さの目安。平均糖度は16~18度とリンゴ並みです。

 土壌に強いこだわりを持つ高木さんは、園地に下草を生やす草生栽培を採用しています。「桃、栗3年、柿8年と言うように、私など、まだまだ新参者」と謙遜する高木さん。「JAの果樹の専門家から、剪定、摘蕾などで、懇切な指導をしていただいています」。一番難しいのは「病害虫対策」。また、鳥獣害防止と風よけを兼ね、園地の周りには柵を建て、天井は網で覆っています。

 市民ランナーである高木さんは、今年、熊本城マラソンと東京マラソンに参加。来年は奥さまが東京マラソンを走られます。「農業に定年はない。一生続けられる仕事」という言葉が胸に響きます。震災被害も何のその、夫婦で仲良く収穫に精を出す若々しい姿を見ていると、農業の持つ限りない可能性を実感します。

 阿蘇外輪山の裾野に広がる熊本県上益城郡。2001(平成13)年に発足したJAかみましきは、御船町(みふねまち)・甲佐町(こうさまち)・嘉島町(かしままち)・益城町・山都町(やまとちょう)の5町からなり、平野部から山間部まで高低差あるエリアで多種多様な農産物を育んでいる。2016年4月の熊本地震では、県内の死亡者48人中24人の犠牲者を出すなど、深刻な被害を蒙った。

「組合員の家屋、納屋、ハウスや農地、さらにはJAのカントリー・ライスセンターや選果場など、被害は広い範囲に及びました」

 そう話すのは、JAかみましきの梶原哲(さとる)・代表理事組合長(61)。震災当時、副組合長だった梶原さんは、組合長の藤木眞也(しんや)さん(現参議院議員・農林水産大臣政務官)とともに災害対策本部の陣頭指揮を執っていた。

 折りしも、4月は、スイカやミニトマトなど多くの農作物の収穫時期。「選果場がストップし、幹線道路も通行止めという状況の中、それでも、獲れたスイカは、組合員、JA職員、流通関係者らの尽力で、なんとか、消費地に送り届けることができた。地震で住む家と長女を失われた組合員の“出荷することが供養になる。娘と一緒に作ったスイカだけん”という言葉が今も、胸に残ります」

 本震の3日後、農作物の青空緊急販売を実施したのは、JAかみましき農産物直売所の「とれたて市場」だ。380人からなる出荷協議会の生産者に対し、会長の河原君代さん(64)が、「販売することが生産者の糧になる」という信念の下、メールを発信。嘉島店前のブルーシートに、トマトやキュウリ、イチゴなどが並んだ。

 地震から3年半――。梶原組合長がこう誓う。「JAグループ支援隊や市民ボランティアのおかげもあり、農地や施設の方は、かなり復興が進んできた。組合員の皆さんが農業生産だけに集中できるような環境づくりに向け、邁進してゆきます」

村上佳菜子の目
柿と聞いて、思い出すのが、母方の祖母のこと。遊びに行った時、庭になっていた柿をごちそうになりました。それもあり、柿は大好きな果物の一つ。今もよく食べています。でも、今回いただいた「太秋柿」は、甘くてシャキシャキしていて、飛び切りの美味しさでした。柿農園の高木さんは、「震災前の普通の生活に戻れているのか、心のどこかでひっかかるものがまだある」と話される一方、「自分はやる気満々だし、楽しく農業に取り組みたい」と意欲を語られていました。甘くて大きな「太秋柿」。これからもどしどし食べて、応援してゆきます!

[提供]JAグループ [企画制作]新潮社 [撮影]荒井孝治 [ヘア&メイクアップ]岩澤あや [スタイリング]吉田謙一(SECESSION)

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。