一人娘が綴った「両親の老老介護」と「やがて来る永遠の別れへの覚悟」に涙が止まらない

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 85歳の母が認知症と診断され、93歳の父は自分が介護すると決断。映像ディレクターとして東京在住の一人娘が、広島県呉市の両親の元に通いながら、老老介護の日々を撮り続けた映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」が文化庁映画賞文化記録映画部門大賞を受賞した。

 10月28日には東京・六本木で授賞式が行われ、監督・撮影・ナレーターの3役を務めた信友直子さんが晴れの舞台に立った。

 もともと、ハンディカメラの撮影練習のために、2000年頃から帰省の度に両親を撮影していた信友さんだったが、母親の異変に気づいてからは、撮影をためらったという。しかし、カメラを向けてこなくなった娘に、何気ないふうに「お母さんがおかしくなったけん、撮らんようになったん?」と問う母の言葉で、撮影を再開。「母が認知症気味になったから母を撮らなくなったなんて、考えてみれば失礼な話だと」(新潮社刊『ぼけますから、よろしくお願いします。』より)気づいたと当時を振り返る。

 一方、母より7つ年上の父は、年をとってからかなり耳が遠くなっていた。昔から鼻歌がクセで、スクリーンの中でもいつも何かしら口ずさむ様子は、観ている人の笑顔を誘った。
「『おっ母の調子がちいと悪うなったけん、わしがやれることは代わりにやってやろうか。まあ、年をとったんじゃけん、しょうがないわい』。父はきっと母の認知症を、それぐらいの自然体で受け止めているんでしょう」(同)と信友さんは感じているという。

 それまで家事は妻任せで一切、触ったことのない父は、最初はご飯を炊く、お風呂を自分で立てて入る、惣菜を買いに行くなど、妻の手伝いのような作業から始まり、やがて、掃除機かけ、洗濯、料理など本格的に家事を担うようになった。
 母の症状が進行し、得意だった料理や一切手抜きしなかった掃除・片づけもほとんどできなくなり、日中もところ構わず横になってしまうようになると、父がすっかり「主夫」となった。

 自分はビデオを回していないで、父を手伝い、母を助けなければいけないのではないかと逡巡しながら撮影を続けた信友さん。一人語りのナレーションは物静かで、泣き笑いの夫婦・家族の風景に、観客は一緒になって涙ぐみ、声を出して笑った。

「認知症という難しい課題を扱いながら、普遍的な物語へと昇華させた稀有な作品である」(審査員・塚田芳夫氏による贈賞理由より)と評された作品の最初の上映は2018年11月だったが、1年経とうとする現在でも日本中で上映会が開催され続け、人気を博して観客動員数は12万超え。これだけ話題になったのは、「観客の皆さんが自分の親を思い返したり、老後を重ねたりしてご覧くださったからでしょう」と語る。

 また、「映像をつなぎ合わせて出来た映画では、多くを語らず観る人それぞれに感じ取ってほしかった」とも言う信友さんが、逆に自分の真の心に向き合い、最愛の両親の老いの現実を全身で受け止め、やがて来る永遠の別れへの覚悟さえ綴って書き下ろした著作が映画と同名の『ぼけますから、よろしくお願いします。』。「書き進めるのが辛いと思うこともあった」という本書に触れた時、観客は「素」の彼女に出会うはずだ。そして、映画にならなかったエピソード、印象的なシーンに至る経緯やその後の事実を知り、「そうだったのか」と深くうなずき、映画の感動を新たにするだろう。

デイリー新潮編集部

2019年11月1日掲載

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