灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(45)

国際Foresight 2019年5月1日掲載

  • 共有
  • ブックマーク

 大正15(1926)年4月。

 あきの別れの手紙を読み、ロンドン、パリ、ベルリンと横断している義江から返事があった。それぞれの場所で書いたのか、立て続けに4通あった。

 日付順に読んでいくと、最初の手紙はあきの別れ話に対して怒り心頭の長文の手紙だった。次は、義江自身の愚かさを悔いる謝罪の文章だ。3通目はもう一度思い直して、なんとか日本を出て自分のそばに来て欲しいという嘆願。最後の手紙は、

「前の3通で僕の心はわかってくれたことと思う。何者にかえても僕にとってお前が必要だ。...

記事全文を読む