「スクールカースト底辺」を大人になっても引きずり続けた31歳女性の復讐劇

「普通の女子」になれなかった私へ2019年4月12日掲載

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 2018年に東洋経済オンラインで最も記事が読まれ、新書『発達障害グレーゾーン』が現在5刷の気鋭のライター・姫野桂さんが「女性の生きづらさ」について綴る連載「『普通の女子』になれなかった私へ」待望の第3回です。今回のテーマは「スクールカーストが大人になっても与える影響」。姫野さん自身は学校を卒業してもしばらくスクールカーストを引きずり、苦しい思いをしたとのことですが……。

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上位の子たちから通りすがりに「キモ」と言われ

 中高時代、スクールカースト底辺だった。あくまでこれは、地方の私立中高一貫校での出来事であること、全ての学校にスクールカーストが存在しているわけではないこと、もう18年ほどの時を経ていること、私自身がオタク層をバカにしているわけではないことを先に述べておきたい。

 スクールカースト上位組は流行に敏感でスカートのウエストを3回折って短くし、校則違反の化粧をし、ノリが良く、何をするにも要領が良い子達。ウエストを1回折って膝が少し見える程度の丈にして、そこそこ上位組ともうまく関係を築いている中間層。そして、髪はボサボサ、スカートは膝から下の底辺に分かれていた。

 今はギャルでもアニメや漫画好きを公言し、オタクは市民権を得ているが、当時はアニメや漫画好き=暗い=スクールカースト底辺という構図だった。彼女たちは漫画や同人誌にお金をかけているので「お金がない」が口癖だった。
 
 私は特に好きなアニメや漫画があるわけでもなくオタクではなかったが、スクールカースト上位には入れなかった。自己肯定感の低さと自信のなさから、どうしても華やかなオーラを放つ上位組に話しかけられない。勇気を出して話しかけられたとしても必要最低限の会話で終わってしまう恐怖があった。

 そして難関だったのは校則違反。これは親が絶対に許さない。一度、スカート丈を短くしているのが母に見つかり、こっぴどく怒られたものだった。また、授業参観に来た母親は、上位組の子たちを見て良い顔をしなかったので、この子たちと仲良くすると親に怒られてしまうと感じた。

 スクールカースト上位の子たちからは通りすがりに「キモ」と言われたことがある。ある日の放課後、忘れ物を取りに教室に戻るとおしゃべりに興じていた上位組。私が教室に入って来た途端ピタリと話すのをやめ、忘れ物を確保して出ていった後、明らかに私へ向けた嘲笑が響いていたこともあった。悔しさと羞恥心に下唇をかみながら逃げるように廊下を走って学校を出た。
 
 スクールカースト中間層〜底辺の子たちは私を嘲笑ったり責めたりはしない。そして素直で良い子ばかりだったので、私は身を守るためにも底辺に属していた。

 一度、完全に中間層に潜り込もうと「飴ちゃん作戦」を決行したことがあった。飴を渡し、それをきっかけにコミュニケーションをはかろうとしたのだ。一時的にはうまくいった。しかし、そこからが続かなかった。飴を学校に持っていっているのが母親にバレ、これまた叱られた。当時の私は「自分が食べるためではなく、友達をつくりたくて学校に飴を持っていっている」と親に説明できなかった。

 そんな暗黒時代を経て大学進学のため上京。私がスクールカースト底辺だったことなど誰も知らない地で、いわゆる「大学デビュー」した。大学は自由だ。それまでは校則違反だった染髪やメイク、派手な服を着て、外見は変えられた。しかし、内面は何も変わっていないことに自分自身、気づいていなかった気がする。

 自分は底辺だ。それを大人になってもずっと心の奥底で感じていた。特に仕事の上で、「あ、この人絶対中高時代はスクールカースト上位だっただろうな」という人はすぐにピンときて、萎縮する。スクールカースト上位組から受けた嫌な仕打ちがフラッシュバックしてしまい、極度の緊張に襲われてスムーズにコミュニケーションが取れず、仕事がうまくいかなかったこともあった。仕事を降ろされたことさえあった。

 なぜ、大人になって「学校」という閉鎖空間から解放されたのにもかかわらず、底辺時代の羞恥心やトラウマを引きずっているのか。このあたりは、心療内科の主治医から「中高時代に受けた心の傷が原因なのではないか」と言われた。いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)だ。PTSDは虐待を受けたり、命が脅かされるような恐ろしい体験をした人が陥る障害だと思っていたので、まさか自分がPTSDだなんて信じられなかった。しかし医師いわく、PTSDに心の傷の深さは関係ないとのことだった。

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