「バカッター」騒動はなぜ起こるのか 行きすぎた「承認欲求」のなれの果て

国内 社会 2019年2月19日掲載

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 飲食店などのアルバイトのバカなツイートが社会問題化している。「バカッター」なる言葉も一般化しつつあるほどだ。こうした投稿をする人間の動機は様々だろうが、一つの解釈としては「承認欲求」の産物、というものがあるだろう。誰かに認めてほしい、面白い奴だと言われたい、僕を見て、私を見て……。

 承認欲求を持つことそれ自体は、人として自然なことだ。誰にも認めてなんか欲しくない、というのでは世捨て人になってしまう。問題は、それが強すぎたり、おかしな方向に向かった時で、バカッターなどはその典型だろう。
 要するに行き過ぎた承認欲求のなれの果てというわけだ。
 こうした人たちの影響もあって、最近では承認欲求という言葉はネガティブな文脈で用いられることが多い。

 もっとも、実際には承認欲求には「光」の面もあれば、「影」の面もあり、その両面を知っておくことが必要だ、と説くのは太田肇・同志社大学政策学部教授である。太田教授は、組織研究の専門家で、長年、承認欲求について考察をしてきた。新著『「承認欲求」の呪縛』から、その「光」と注意すべき「影」にまつわるエピソードを紹介してみよう(以下、引用は同書より)。

 まずは承認欲求がプラスに働いた「光」のエピソード。

「地方の生活協同組合に新卒で採用されたある女子職員は、何カ月たっても仕事に自信がもてない。神経質なのか、自分に厳しすぎるためか、ちょっとでもうまいくいかないことがあると、そのたびに泣きながら上司に、『もう仕事を辞めたい』とうったえていた。

 あるとき、いつもどおり組合員の家庭へ商品の配達に行った彼女は、しおれかけた一輪の花を手にして職場に戻ってきた。上司が『どうしたの?』と尋(たず)ねると、ある組合員から『いつもていねいに配達してくれているお礼に』と手渡されたそうだ。

 そこで上司は、『なぜそのお花をくれたのか考えてみなさい』と彼女に言った。彼女はしばらくの間じっと考えていたが、突然、吹っ切れたような様子で上司のところにやってきて、『わかりました』と笑顔で答えた。それ以来、彼女は別人のように堂々とした態度で仕事をするようになり、二度と『辞めたい』などと口にしなくなったという。たった一輪のしおれかけた花が、彼女を変えたのである。(中略)

 このように承認、すなわち認められたりほめられたりしたことで意欲が高まったとか、成長したとかいうエピソードはたくさんある。ただ厳密にいうと、認められたから成長したのか、成長したから認められたのか、因果関係がはっきりしないケースも多い」

 太田教授は承認の効果を客観的に裏づけるエビデンス(証拠)を探してみたが、国内外でこれは、というものは見当たらなかった。そのため、自ら複数の企業、役所、病院、中学・高校、幼稚園などで、実際に認めたりほめたりするとどんな効果があるかを明らかにする実証研究に取り組んだという。

 その結果として、上司から承認された人は承認されなかった人に比べて内発的モチベーション(仕事そのものを楽しむ気持ちや、挑戦心)が高くなる、といったことが実証された。学校などでも承認の効果は見られた――とここまでの話だけならば「ほめて才能を伸ばす」という昨今の教育やコーチングの流れにも合致する話なので、すんなりと受け止めることができるだろう。

 ところが、太田教授によれば一つ間違うと「ほめて伸ばす」の副作用が生まれることがあるのだという。「影」の面である。

「ある民間の病院では、看護師を含めた職員のなかから毎年、最も模範になるような職員を院長が選び、MVP(最優秀職員)として表彰している。そして受賞者には、院長からかなり高額の賞金が贈られる。

 ところが、なぜか受賞者の多くが受賞後、比較的短い期間に辞めていくそうである。はりきって働き続けてもらうために表彰制度を取り入れたはずだが、皮肉にもまったく逆効果になっているわけである」

 なぜこんなことが起きるのか。太田教授は三つの可能性を考えた。

 一つは、表彰されたくらいだから自分は市場価値が高いと思い込み、より待遇のよいところに転職したのでは、というもの。しかし、調べてみると、その可能性は低いようだった。

 二つ目は、表彰されたことで周囲からねたまれるようになった、というもの。たしかにそういうこともなかったわけではないが、受賞者は優秀で勤勉な人たちなのであまり嫌味を言われていたわけでもなく、これも可能性としては低い。

 そこで三つ目の可能性として挙げているのが「承認欲求の呪縛」だ。本来、優秀であることを認められ、表彰されれば、やる気は出るはずだ。しかし、問題は大きな期待からプレッシャーが生じてしまうことなのだ。太田教授は、「期待に応えなければいけない」というプレッシャーが、そこで働き続けることを困難にしてしまった可能性を指摘している。

 そんなことあるのか、と疑われるかもしれないが、学校で調査をすると、そうしたエピソードを語る生徒は珍しくないのだという。

 成績優秀で、担任や親の期待が膨らんだため、それがプレッシャーになって受験に失敗した。無遅刻無欠席を親がやたらと自慢したことが負担になり、学校に行くのが嫌になった。幼いころは絵が得意だったが、先生にほめられているうちに、「ほめられること」を意識するようになり、個性が消えてしまった――数多くの生徒から似たような体験談が語られたというのだ。

「近年、教育の現場では子どもたちの自己肯定感や自尊感情の低さが問題視され、児童・生徒をほめて育てようという気運が高まっている。実際にその効果はあらわれはじめている。

 しかし、効果があるだけに副作用も大きい。一般にほめるのはよくて叱るのは危険だといわれるが、受け止め方によっては叱るより、むしろほめるほうが危険な場合もある。叱られたら反発する子も、ほめられたら否定することが難しいからだ」

 こうした指摘に対して「一体どうすればいいんだよ」と不満の声も聞こえてきそうだが、結局のところ、子育てにせよ部下の育成にせよ、絶対に確かな方法なんてあるはずもない。しかし、ほめることを万能の手法だとは考えないほうがよさそうだ。承認欲求が満たされたときの快感を覚えてしまい、それを病的なまでに追求し続けたために、バカッターに到達してしまったという見方もできるのだから――。

 現時点で絶対に確かなのは、子どもや部下に「SNSでバカなことをするな」と叩きこむことが大事、ということだろうか。

デイリー新潮編集部