灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(27)

国際Foresight 2019年1月20日掲載

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 義江が明治学院の寄宿舎生活を送っている最中、時代は明治から大正へと入っていた。

 義江の身元引き受け人・瓜生寅の下山秘書から明治学院に「瓜生危篤」の一報が入り、義江は急いで瓜生家に駆けつける。

 が、万事遅かった。

 邸内は、人力車や馬車でごった返し、屋敷の畳を踏めたのは到着してからどれくらい時間がすぎてからだろう。

 瓜生寅死去の知らせを受け、ひっきりなしに弔問の客が来る。その中ようやく秘書の下山を見つけると、

「もう一度学校に帰って、服を着替えてきなさい。学校の方には話しましたが、1週間程休むんです」

 下山は葬儀の準備に追われ姿を消してしまった。

 義江にとっては初めての葬儀だった。伊藤博文公の国葬で沿道に参列したことはあったが、自分の面倒を見てくれている身近な人の死は初めてだった。

 いや違う、ついこの前山手線の車内で目が合って微笑んでくれた我が英雄であり、殉死した乃木大将がいた。義江にとっては身近な大人たちより思い入れが強い。

 葬儀前の弔問に、義江の父リードがやって来た。瓜生とリードは「瓜生商会」でのお互い大切なビジネスパートナーであった。義江は奥座敷で弔問中の父の姿を目の当たりにして、夢ではないかと思うほどだった。夢であってくれた方がよかった。

 他の弔問客でごった返している中、リードは義江に気づきもしない。義江の方もこんな時に、「パパ」とか「お父さん」などと無邪気に話しかけられる雰囲気ではないと察したが、1度もそのように呼んだことなどなかった。

 リードが大勢の人をかき分けて玄関から庭に出て車に乗り込むところまでそっと後を追ったが、ついに話しかける勇気はなかった。

「葬式でも会えるさ」

 葬式当日は、リードは義江の見知らぬ英国人と一緒に参列していたため、ますます話しかける勇気は鈍った。でも、リードの方から義江を探し出しきっと5年ぶりの再会を喜ぶに違いない。

 結局、葬儀の日は何も接点がなかった。葬儀が終わってから、父との再会を心待ちにしたが連絡はなく、「父は下関に帰った」と下山秘書から聞いた時は、悲しくなった。下山はその話を続けたくないのか、すぐに話題を変えたことがさらに義江の心を傷つけた。

 瓜生寅は、もともと福井藩士の子息として生まれ育ったのであるが、何らかの理由で家と離縁をし、祖先の「瓜生」姓を名乗り、裸一貫で官僚や実業家としてのぼりつめた人物だった。それだけに、たった1人の義江の境遇を一番親身に感じてもいた。

  義江も親身に自分を叱ってくれた瓜生老人がもうこの世にいないことが、何だか恐ろしく感じた。

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 心身ともに子供から大人になる思春期にさしかかり、ひとり思い悩んだり本を読みふけり、文学青年気取りになった。

 父と母に見はなされた自分に生きていく資格などあるのだろうかなどと考えてみる。

 ある日鹿児島出身の悪友・中村が、

「故郷の母が病気全快で床上げしたらしい。今日は奮発して『時の相場』おごるから来いよ」

 と言われ、蕎麦屋の2階について行った。

「相場をたのむ」

 と中村がお店の人に言ったので、義江がきょろきょろしていると、

「もりかけ6銭、天丼親子丼25銭、おにがら焼・時の相場」という品書きが目に入り、丸ごと焼いた海老が出てきた。

 食べ物屋で堂々と時価の品を注文する同級の中村が急に大人に見えて、かっこいいと思った。

 それからは1 カ月9円払っている、「寄宿舎の食事など食べてられるか」と言わんばかり、腹が減ると白金の「ヤマト屋」というミルクホールに通う日が増えて、ツケで飲み食いをすることをおぼえた。学校に内緒の野球の練習の後は必ずミルクセーキを飲まなければ気がおさまらない。借金が膨れ上がった。

 思えば、このツケが後に「借金王」となる義江の最初の借金だった。

 義江は悪友の中村の顔が頭から離れない。あんなに粋がっている奴でも、母親の話になると急に優しい表情になった。母親の病気が治ったと義江にごちそうまでしてくれた。急に母のことが感傷的に思い出されてきた。

 その理由はもう1つあった。

 寮での夜のこと、舎監と生徒の何人かが義江の身の上の噂話をするのを便所の帰りに聞いてしまったのだ。

「そうですか、でも僕には小さい頃死んだと言っていましたが」

「そうではないみたいだ。昨日瓜生さんのところに行って聞いたら、詳しい居場所はわからないが生きていると言っていた」

「時々、ぼんやりと何か考えていますよね」

 義江が頭を殴られるように傷ついたのは、舎監から出た次の言葉だった。

「どうせ、母親と言う女だって……」

 というくだりだった。

 恨みつらみのある母ではあるが、他人から陰口を言われるのは腹が立つし母が少しかわいそうに思えた。

 しかし先日の遠足で汽車に乗り出かけた時、汽車がトンネルに入り暗くなった隙に、舎監のおでこをめがけて義江がミカンを投げつけたことを恨みに思っているのかもしれない。

「そうだ。大阪に母を探しに行こう」

 そう決心したものの、目前に迫るクラスの出し物の会があり、なかなか抜け出せないでいた。

 その会で義江は、唄、筑前琵琶、ハーモニカ、口笛などの出し物をやった。出し物の3分の1が義江によるものだった。

 花街の女たちに人気を博した浄瑠璃の新内節七代目富士松加賀太夫や清元の五代目延寿太夫のノドに魅せられ、レコードを買いあさった。延寿太夫が歌舞伎に出る時は立見席にも通う。

「俺はいつか必ず次の延寿太夫になってやる」

 は義江の口癖だ。

 出し物会が終わって次の土曜日、義江は無断で寄宿舎を抜け出し、夜行に乗った。気持ちの不安定な16歳、文学青年気取りとなった義江は、自分は生きる小説か戯曲であると思い、夜中涙をぬぐっていた。

 しかし翌朝午前9時に大阪の停車場に立つと、大阪特有の雑踏と喧騒に面喰らい、感傷的な芝居気は吹き飛んでしまった。

「そんな気持ちでくよくよする暇があったら、一銭でも多く稼ぎなはれ」と大阪の人たちに笑われた感じだ。

 義江はうろうろと8年前の心当たりの曽根崎や丁稚をした店の周辺をさまよった。記憶もあいまいで知恵も勇気もなく、母のことは何もわからず、夕暮のプラットホームに戻った。

 そのころ母・菊は大阪ではなく浅草にいたのだ。それは瓜生家に来た手紙の消印で、義江以外の関係者は知っていた。

 さえない気持ちで寄宿舎に帰ると、さらに現実的な問題に直面する。

「おかえりなさい」と声をかけて来た小使いが、

「浮かない顔をしていますね。あなたに電話がありましたよ」

 瓜生家だなとピンと来るものがあった。

 先日「独眼龍」というあだ名の教師から、

「今の君の成績では及第(進級)は危ない。数学の出来がこんなに悪くては将来を考えてみなくてはいけないね。もし文学を希望するなら、作家の島崎藤村は本校出身だからなんとか話してみてもよいが……」

 その話は身元保証の瓜生家にも伝えられ、瓜生夫人からの電話連絡だった。

 後日、瓜生夫人は義江と話し合いを持った。

「義江さん、野球部の件ではだいぶ羽目を外しましたね。そんなことをしているから学業に身が入らないのですよ。学院は問題児の1人としてあなたの名前を挙げましたよ」

「ごめんなさい」

「学校はどうしたいの? 辞めたいの? それとも1年留年してやり直しますか? それとも及第させてくれる他の学校に行きますか?」

 義江は及第させてくれる学校、つまり転校を選んだ。これで暁星と同じく明治学院も中退となった。

 その頃ちょうど学院内では、生徒達の財布などがなくなる盗難事件が相次いでいた。先生が「誰が盗んだと思うか投票で決めましょう」ということになり、悪い生徒と言われる中村が1番の票を集めた。もちろん義江の名前も上がった。

 しかし直後にホシがあがった。ある富豪の次男の病的な手癖の悪さが判明した。疑いが晴れたことで、義江は中村に時の相場を奢り返して、明治学院最後の時を祝った

 瓜生家に身をよせて、通信簿を持っての学校探しが始まった。

 明治学院と同じ系統でここだけは絶対入れる自信のあった青山学院からは、門前払いを食らった。

「どこでも駄目なのを引っ張ってくれたのが明治学院でしょう。そこが駄目なんだからうちも駄目だよ」

 高輪中学、荏原中学、慶応普通部と商工部も断られた。正則学園は「場所が嫌だ」と義江が嫌がった。

 義江退学の話を聞きつけた町田という友人がわざわざやって来て、

「水野、よいチャンスだから音楽学校へ行けよ」

 とすすめた。町田は明治学院を中退し東洋音楽学校で美声を磨いていた。

 その頃の義江にとって唄とは清元や新内節であった。

 すると瓜生夫人までもが、

「そうね、義江さんは声がいいから音楽学校へ行くのもいいでしょう」

 と音楽学校行きを賛成してくれた。

 上野の森にある音楽学校の規則書をもらってきて読んだが、中学校卒業又はそれと同等の資格者が最低条件としてあり、中学校中退の義江にはお手上げとなり、あっけなく音楽学校の夢は断たれた。

 学校探しは続いた。瓜生家の下山秘書に渡りをつけてもらい、ようやく白山の京北実業学校が入学を許可してくれた。京北実業は、義江が通った時代は簿記やソロバンを学ぶ学校だった。

 音楽に力を注いで教える学校ではないが、卒業生に後の「ハナ肇とクレージーキャッツ」の植木等や、「ザ・ドリフターズ」のギタリスト・ウクレレ奏者の高木ブーなどがいる。筆者が高木ブー氏に尋ねると、藤原義江が同じ高校だったということは聞いたことがあるという。

 京北実業には寄宿舎がなかったので、義江は田端駅近くに下宿をした。急に大人になったような錯覚にとらわれたが、父のリードが瓜生家を経由して援助してくれているからだ。

 下宿先には同校の野口という男も居た。野口は、土佐出身で慶応の普通部を8年かかっても卒業できず、父親の怒りを買い京北に入学してきた21歳だった。

 16歳の義江は、野口によからぬことをいろいろおそわった。

「『十二階下の女』に行くか」

 浅草の凌雲閣の地下は「銘酒屋街」となっていたが、裏の顔は私娼窟だった。眺望のために建てられた雲を凌駕する12階建ての凌雲閣は「十二階」とも呼ばれ、「十二階下の女」は私娼の隠語だった。

 野口には馴染みの女がいるらしく、2人で暗い奥に消えてしまった。義江は勝手がわからずモジモジしていると、飾り窓の格子から女の手が伸びて帽子をとられてしまった。

「返しておくれよ」

 懇願する義江に格子の中の女たちは笑いながら帽子を手から手へとほおり投げている。受付に行くと、義江の帽子は返って来た。

「ちょいと学生さん、可愛いわね、さあ、こっちをむいて」

 と3人の女が同時におしろいくさい顔をおしつけてきた。

 お金を払ったのは1人分とはいえ、義江は3人の娼婦に遊ばれた自分が不憫に思えた。

 娼婦たちからすれば、仕事を忘れ本領を発揮した。

 若くとびきり美しい少年を相手にすることは、醜く傲慢な年を重ねた男を相手にするのとでは比べようがなかった。

 キップの良い彼女たちはこの上客におひねりをあげてもいいと思ったほどだ。

「また来てね、学生さん」

 明治44(1911)年の大火からみごと復興をとげた吉原にも連れて行かれた。遊女たちが色とりどりの着物で並ぶ「張り見世」のまばゆいばかりの絢爛さには度肝を抜かれた。

 野口は「万年楼」という中堅の店を選んだ。

「義江、2円だせ。あとは俺に任せろ」

 新潟出身と自ら話す女は義江に大層しつこかった。

 翌朝、眠いのと疲れで本当に太陽が黄色く見えた。

 浪費家の義江でも「十二階」や「吉原」に通えばお金がなくなり、一計を案じた。

 瓜生夫人が、

「本屋への勘定ならいくらでも払いますよ」

 と言っていたのを思い出した。

 義江は学校近くの古本屋の親父から「模範英和辞典」「二葉亭全集」などを安く買い、他の古本屋に売って現金にしていた。

 ある日、瓜生家の下山秘書がやって来て本棚に本が1冊もないのがばれてしまった。さっそく瓜生家の奥に呼び出され夫人から、

「義江さんは、最近お酒を飲むようですね」

 とたしなめられた。女を買っているということがばれずに良かったと思った。

 瓜生家の方もお酒のせいにした方が注意しやすかったのだろう。

 野口は、酒と女でからだを壊し土佐へと帰っていった。

 ちょうどこの頃、中上川(藤原)あきは年が倍以上離れた眼科医の元へ嫁に行く。新しい世界に暗澹たる思いのあきと違い、義江は「浪費」と「女」という刹那の快楽に浸っていた。(つづく)

佐野美和
政治キャスター。東京都八王子市出身。株式会社チェリーブロッサムインターナショナル代表取締役。大学在学中、フジテレビの深夜番組として知られる『オールナイトフジ』のレギュラーメンバー「オールナイターズ」の一員として活躍した。1992年度ミス日本に選ばれる。TBSラジオのパーソナリティ、TBSラジオショッピングの放送作家を経て、1995年から2001年まで八王子市議会議員として活動。以後はタレントとしてテレビ出演のほか、講演会も精力的に行う。政治キャスターとしてこれまで600人以上の国会議員にインタビューしている。主な書籍に『アタシ出るんです!』(KSS出版)、『あきれたふざけた地方議員にダマされない!』(牧野出版)などがある。