灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(26)

国際Foresight 2019年1月13日掲載

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 明治32(1899)年に、社会福祉の先駆者・留岡幸助が巣鴨の土地を購入し設立した「東京家庭学校」は、キリスト教信仰に基づいた教育方針の、民間の「感化院」として始まった現在で言う「児童福祉施設」だった。

 義江が入った明治44(1911)年は、地位の高い裕福な子息で手のつけられない犯罪予備軍の非行少年が入る更生施設とも言われ、校内は荒れていた。

 一方で「愛」を教育方針の核としていた校内は、留岡校長の知るところか知らないところかは分からないが、「少年愛」が蔓延していた。...

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