オウム暴走の原点 「坂本弁護士」自宅の鍵はなぜ開いていたか

社会 週刊新潮 2018年12月27日号掲載

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 平成最初の秋に発生し、平成最後の夏に実行犯が処刑された。坂本弁護士一家殺害事件は、その後のオウム真理教の暴走を鑑みても、まさに平成を象徴する事件の一つと言えるだろう。一家の悲劇は、なぜか開いていた自宅の鍵から始まった。

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 事件が起きたのは、1989年11月4日、土曜日のことである。

 オウムに子どもを奪われた親たちから相談を受け、“奪還”の中心的存在となっていた坂本堤(つつみ)弁護士。その彼を「教団の障害になる」と麻原彰晃が「ポア」を指示。4日の未明、実行犯6名が弁護士の自宅アパートに侵入し、夫婦と1歳の男児を殺害、遺体を遠く離れた山中に埋めたのであった。

「その週明け、坂本が事務所に来ていない、とわかった時は、背筋にゾワッとしたものが走りましたね」

 と振り返るのは、当時の同僚・横浜法律事務所の小島周一弁護士である。

「すぐにアパートに向かいました。中には誰もいませんでしたが、意外と部屋はキレイだった。当時は生きていると希望を持ち、救出活動を続けていました」

 その希望が打ち砕かれたのは6年後。地下鉄サリン事件によって、オウム幹部が続々逮捕され、実行犯が自供、遺体が発見されたのだ。証言によれば、犯行の流れは以下の通り。

〇11月3日、6名は坂本弁護士の自宅付近と最寄り駅を張り込み、拉致を狙った。

〇しかし、その日が祝日だったこともあって、弁護士の姿は確認できなかった。

〇午後10時頃、岡崎一明元死刑囚が部屋を見に行った。ノブを捻ると、鍵はかけられておらず、ドアが開いた。

〇彼らは教祖に電話で報告。指示を仰いだ。麻原は「寝静まってから侵入し、家族共々殺(や)れ」と指示した。

〇6名は指示通り、翌午前3時頃に侵入、犯行に及んだ。

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