灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(19)

国際Foresight 2018年11月25日掲載

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 九州、大分県の北東部に位置する国東半島は瀬戸内海に面し、比較的穏やかな気候が続く。その国東半島の南側にある杵築は、明治の半ばになっても杵築城を中心とした城下町の賑わいがあいも変わらず、北九州の石炭や鉄鋼の好景気によって人の出入りも多く、むしろ花街はおおいに盛っていた。

 花街が賑わうと杵築の名産イグサを主とする畳替えも頻繁に行われ、町の景気は好循環していった。

 明治39(1906)年、寺を放逐された義江は、杵築の町中で鍛冶屋から身を起こして手広い鉄工所となった水野松次郎・ヨネ夫妻の養子となった。夫妻は子宝に恵まれていなかった。

「義江、今日からうちの子ばい」

 義江のくりくり坊主の頭を両手で抱え込むようにしながら、水野は言う。

 もともと子供好きな上に、旭楼では子供ながらに座敷に出るという境遇を心配し、寺に入れたものの追い返された義江が不憫で、また可愛くて仕方なかった。

 娘しかいなかった水野は将来義江を跡取りにすることはもちろん、全身全霊を注いで育てたいと思った。

 義江の方も、2年前に初めて義江を養子にしてくれた旭楼の主人の藤原徳三郎と比べると、水野の家には家庭というようなものがあると感じた。そして生まれてはじめて素直に「お父さん」と呼べる人でもあった。

「さあ義、お前の妹のお八重だ。なかよくしい」

 義江が来る少し前から水野家の養女となっていた、1つ年下の八重を紹介された。

 誰も血のつながっていない4人の生活が始まった。

 義江は杵築尋常小学校に入学した。

 公共の機関から教育を受けるのは生まれてはじめてのことで、今までは芸者のお姐さんたちや、あずけられた先で、字や読み方を教えてもらったことしかない。

 学校は楽しくて仕方ない。大人の環境で育った義江は同じ年の仲間がこんなにも沢山いることだけで嬉しかった。

 身体が大きな義江は、先頭に立って腕白ぶりを発揮した。すっかりガキ大将となっていた。

 それでも水野は義江を溺愛し、容姿や仕草、一挙手一投足がかわいくてたまらなかった。

 時として腕白な義江を叱り、なぐったことさえもあった。しかしそれは愛情からくるもので、義江も大切にされていることを感覚的にわかっていた。

 これが普通の……ということは義江にはわからないが、家族というものを初めて経験した。

 水野松次郎が義江を溺愛し、その妻・ヨネは八重をかわいがるという関係が出来上がっていた。どこの家族にもある関係である。

 妹のお八重が小学校に上がることになった。

「義江、お八重の手を必ず捕まえて学校に行くとよ」

 義江は毎日の登校と下校、これが嫌でしかたなかった。学校ではいっぱしのガキ大将としてふるまっている自分が、妹とはいえ女と手をつないでいるところを見られるのは恥ずかしいことだった。

 八重は義江とは対照的な見た目で、顔が大きくもっさりとした印象の女児だったが、学業は群を抜いて優秀だった。そして勝気で、兄の義江に対しても食ってかかることもあった。

 八重の実父は神主、実母は小学校の教師だが、2人して東京に勉強に出たいことから、思い切って水野家に養女として託したという。

 義江は袴の左腰に、きちんと折った手ぬぐいを下げて、八重の手をとって家を出る。

 水野とおかみさんが笑顔で手を振り送り出す。義江はふり返り、2人が手をまだふっているのを確認しながら手を振りかえす。

 もう1度ふり返り、2人が見えなくなったのを確認して八重の手を離し、学校に向けて1人で走っていく。八重はまたいつもの様に泣きだし、義江より大分遅れて学校にやって来る。

 帰りも2人一緒でないと叱られるので、家の近くで手をつないで家に入った。

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 学年が上がるごとに義江は悪太郎ぶりがひどくなっていった。

 この日もいやいや八重の手を引いての下校途中だった。

 義江より年上とみられるここらあたりの悪太郎たちが4、5人たむろしていて、

「あいのこ、混血児! 女と手をつないでら」

 と義江をからかった。

 あいもかわらずその手の言葉にカッとする義江は、ぶら下げていた雑嚢カバンを八重に持たせて、彼らに突っ込んでいった。

 しばらくもみ合いが続いたが、数人と1人では勝ち目がないのが分かり、義江はとっさの判断で、下駄を脱いで懐に入れて、一目散に家の方角に逃げた。義江の足の速さは学校でも評判だった。

 家の近くの橋のたもとで八重を待っていると、だいぶん時間が過ぎてから八重が義江の雑嚢カバンを抱えておいおい泣きながら、ゆっくりとした歩みでやってきた。

 家に帰ると、義江の傷と普通ではない八重の泣きっぷりに、水野夫妻は問いただした。

 義江だけが叱られるのならいつもと同じだが、今度の義江の悪太郎ぶりは、ひどい夫婦喧嘩を引き起こしてしまった。2人は夜中まで喧嘩を続けた。

 この日を境に、松次郎と義江、おかみさんと八重という二手に分かれた家族内の人間関係がより強まった。

 義江からすると、おかみさんは八重ばかりをかわいがり、自分には冷たい態度をとるような気がした。

 おかみさんは、普段、内気で静かな人だ。

 大阪の裕福な家庭の次女として生まれ、杵築に嫁いできた。苦労のない人生だったが、15年間子供に恵まれないということだけが心に暗い影を落としていた。八重と義江を養子に迎え入れたことで、気持ちは晴れやかになると思っていたが、今度は血のつながらない4人の生活に、心の釣り合いがうまく取れなくなっていた。

 夫婦喧嘩は3日に1度くらいの頻繁な回数となり、その度に、

「里に帰ります」

 とおかみさんが感情をあらわにする。

 大人の人間関係をも鋭く察知できる義江は、自分が引き金となってしまったこの夫婦喧嘩が始まらないようにと、度々嘘をついてとり繕った。喧嘩をして汚してしまった着物も転んだと言った。

 算術も良くでき、習字の丸の数も義江より多い八重を、おかみさんは松次郎の前で得意になって褒めた。義江はまるで自分へのあてつけだと子供ながらに感じた。

 おかみさんが義江に辛くあたり、八重を可愛がるのがもっと明らかになると、義江は家では八重を可愛がるふりをして、外ではひどくいじめた。

 八重ののろい歩みを見ているとムカムカと苛立ってもきた。

 家ではおとなしくしていたが、一歩外へ出れば義江の悪太郎ぶりはさらにひどくなっていった。それはほとんど「あいのこ」と言われることに端を発しての取っ組み合いの喧嘩だった。

 学校側と水野が話し合いを重ね、しばらくの間、登校の際は鉄工所の事務員が一緒に行き、下校は受け持ち教師が同行するまでになっていった。

 西林寺の小僧として預けられた時、可愛がってくれた村長さんの奥さんから、

「お前の血の半分は、英国の人とよ。英国は今度の戦争(日露戦争)で日本の味方をしてくれているよ」

 と言われてから「あいのこ」というものに多少自信をつけて、今度は自分が上からの目線で喧嘩をしたが、悔しいことに変わりはなかった。

 その頃義江の組に、鳥取から転校してきた金山という男子がいた。金山の母親は朝鮮人だという。それなのに金山はなぜ「あいのこ」と言われないのか、義江は不公平に感じていた。

 義江は、近所の「河野の兄さん」という東京から帰省中の学生と仲良くなり、家に入りびたるようになっていた。杵築でたった1人という帝国大学文学科に通う河野の兄さんの話は、他の大人たちの話とは違って義江を惹きつけた。

「兄さん、なんで俺ばっかり、あいのこと言われるんだい。だって金山君も朝鮮人のあいのこだよ。なぜ俺ばっかりあいのこなんだい?」

 河野の兄さんに訴えれば、納得できる答えがきっと返ってくるはずだ。

 面長の顔に眼鏡をかける河野の兄さんは、いい質問だねと言わんばかり余裕の笑みで、

「よっちゃんは鼻が高くて、色が透き通るように白いだろ。みんなそれが悔しいんだよ。金山君はきっと鼻だって高くないし、肌もみんなと同じような色だ」

 それから河野の兄さんは、日本人のあいのこに対する偏見、好奇心、冷淡さの話を聞かせた。そしてそれは「鎖国」という歴史や、小さな島の「島国根性」からきているということを教えた。そして様々な国の血が通うあいのこは、素晴らしく優秀な子なのだとも言った。

「でもね、よっちゃん。日本人はみんなあいのこなんだよ」

 義江はこの言葉はよく理解できずに、なぜだか背中がゾッとするのを感じた。

 そして帰りがけには、

「今日の話は誰にも言わないほうがいいよ」

 と河野の兄さんは笑顔で義江を見送った。

 喧嘩を叱るだけの大人たちとは違って、新しい考え方を身につけられたような気がして、義江はこの頃連戦連勝の軍を讃えるように村でもよく歌われていた「軍歌」を大きな声で歌って帰った。学校では音楽の時間はなかったが、義江は所かまわず耳で覚えた軍歌を歌った。上手いとは言えないが、かん高く大きい声だった。

 家の水野鉄工所では、店の者がおだてて義江に軍歌を度々歌わせた。水野は義江が軍歌を歌うのを目を細めてながめた。

「うまいぞ、義!」

 しかしおかみさんは、義江が歌を歌うのを嫌った。

「もう、うるさいとよ」

 義江は2階に上がって1人歌い、それでもおかみさんに叱られると裏の竹やぶで怒鳴るようにして歌った。

 秋の運動会が行われる2日前の朝だった。

 義江は運動会のかけっこが楽しみで仕方なかった。絶対に一等賞をとってやるという気持ちで、闘志を燃やしていた。てるてる坊主を作って、晴れますようにと空にお願いをする毎日だった。

 義江と八重の弁当の中身で、夫妻は喧嘩をすることもしばしばあったが、この日は「義江の運動着だけ新しいのを揃えた」ということが喧嘩の始まりだった。

 いつになく激昂した喧嘩は、ついにおかみさんが家を出ていく始末にまでなってしまった。

「大阪の実家に帰る」と口では毎回のように言っていたものの、ほんとうに家を出たのは初めてだった。

 荷物をまとめて港に行き、大阪行きの汽船が来るのを待っているところに、近所のおかみさんたちが「これは大変」と出向き、説得し、とりあえず家に連れて帰ったという顛末だった。

 近所の顔役でもある水野は、養子たちのことに端を発する夫婦喧嘩が近所にわかったしまったことが情けなくもあり恥ずかしかった。

 義江にとってはそんな問題は大人たちの事情であり、我関せず、運動会のことばかりが頭にあった。

 枕元には、問題の新しい運動着、鉢巻、裸足袋。自分が一等賞を取った時のことを思うと、興奮して寝付かれなかった。

 翌朝の運動会当日。

 まっさらの運動着を着た義江は、かけっこでぶっちぎりの一等賞だった。同学年の喧嘩仲間や学年が上の運動神経が発達した者からも、羨望の目線があったことに義江は得意になった。

 戦利品の帳面を脇に抱え、「どうだ」と言わんばかりの顔で家に帰ると、夫婦喧嘩の真っ最中だった。いつもの喧嘩よりひどい状況だということは義江にはもちろん、にぶい八重にもわかるほどだった。

 夕飯では、得意となって今日の一等賞になったかけっこの話をしたかった義江であったが、少しだけ水野がかけっこの話を褒めてくれただけで、2人の喧嘩に戻ってしまう。

 ついに水野がおかみさんを怒鳴りつけて、足もとにご飯のどんぶりを叩き付けた。

 その破片がおかみさんの足にささり怪我をしてしまった。

 大変な修羅場となり、義江と八重は早々に眠りについた。

 翌朝、義江が下に降りると、水野が深刻そうな顔で話を始めた。

「悪いのお、義」

 水野は泣きながら義江の手を取った。

 昨夜の夫婦喧嘩でおかみさんが「私を出すか、義江を出すかどちらかに答えを出して欲しい」と言ったという。

 義江はまた、この家さえも出ることになるのか。そしたら一体、今度はどこに行けば良いのか。涙でくしゃくしゃになった水野の顔を見ながら、義江は途方に暮れる思いだった。(つづく)

※文中、一部現在では不適切な表現がありますが、当時の社会状況を再現するため敢えて使用しています。

佐野美和
政治キャスター。東京都八王子市出身。株式会社チェリーブロッサムインターナショナル代表取締役。大学在学中、フジテレビの深夜番組として知られる『オールナイトフジ』のレギュラーメンバー「オールナイターズ」の一員として活躍した。1992年度ミス日本に選ばれる。TBSラジオのパーソナリティ、TBSラジオショッピングの放送作家を経て、1995年から2001年まで八王子市議会議員として活動。以後はタレントとしてテレビ出演のほか、講演会も精力的に行う。政治キャスターとしてこれまで600人以上の国会議員にインタビューしている。主な書籍に『アタシ出るんです!』(KSS出版)、『あきれたふざけた地方議員にダマされない!』(牧野出版)などがある。