【引退から7年】ホンマ、平和な日々ですわ……庭いじりで日焼け「62歳 島田紳助」隠居生活を語る

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いよいよ老境に入った!?

 肩までの“セミロング”ヘア。全身を締め上げるような筋肉。2011年の引退から7年が経過したが、全盛期のスーツ姿とは全く違う。島田紳助(62)の話だ。芸能界を引退して以来、滅多に公の場に姿を現さない島田の最新インタビューを「デイリー新潮」がお届けする。

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 8月31日、大阪の心斎橋にあるライブハウスは満員だった。歌っているのはRYOEI(37)。シンガーソングライターだ。そのステージに島田も登場すると、会場からは大きな拍手と歓声が沸き起こった。

 島田とRYOEIは10年を超える交友を持つ。仕事を通じて知り合い、当時の島田が司会を務めた人気番組「クイズ!ヘキサゴンII」(2005〜11/フジテレビ系)に参加させたり、RYOEIのシングルを島田がプロデュースしたりした。

 2人の関係が注目されたのは14年8月。引退から一度も公の場に姿を現していなかった島田が、RYOEIのライブにサプライズ出演したのだ。少なからぬメディアが「芸能界復帰の布石?」と大きく報じた。

 かのように、既に報道済ということもあってか、今回は堂々と「島田紳助プロデュース‼ RYOEI 9th Anniversary LIVE ~大改造計画の巻~」と銘打ってライブが開催された。参加した記者が振り返る。

「開演は午後7時でしたが、300席を超える観客席は、ほぼ満席でした。しばらくすると5人のバックバンドがイントロを流し、アコースティックギターを抱えたRYOEIが登場してライブが始まりました。MCでは『紳助さんがプロデュースです』と改めて説明し、ポーク卵おにぎりを差し入れてくれたエピソードなどを披露していました」

 ライブが幕を開けてから、およそ1時間後、RYOEIが「島田紳助さんでーす」と呼びかけ、ご本人が登場した。

「白いポロシャツに、ピンクのハーフパンツ、白いスニーカーというコーディネートでした。ステージに現れると、もの凄い拍手と歓声でしたね。正直なところ、RYOEIの時より大きかったと思います。まだまだスター性は失われていないと再認識させられました」(同・記者)

 それからステージの上でRYOEIとフリートーク。島田の話芸は全く衰えていない。全盛期と遜色ない。たちまち会場は爆笑に包まれる。様々な芸人の名前が飛びだしたのだが、例えば「ザ・ぼんち」のボケ担当、ぼんちおさむ(65)だと、こんな具合になる。

「悪口っていうのは、アホでない人をアホと言うのが悪口。だから、『ぼんちおさむさんはアホや』いうのは報道、事実。先輩ですけどね、この間も『お前、俺のこと先輩やと思ってないやろ』って、『いや、兄さん言うてますやん』言うたら、『お前は兄さんって言いながら、“兄さん、ジュース買うてきて”と言う』」

 芸人としての魂・技術は依然として健在だ。観客の一人を「梅宮辰夫(80)を水洗いしたような顔」、「なんか縮んでる」などと弄りまくると、客席の笑いは止まらなくなった。

ライブの翌日に記者が取材

 そして翌日、ライブを鑑賞した記者が島田に取材を依頼すると、すんなりOK。近況を率直に語ってくれた。

「ライブをプロデュースした理由は、昨晩も言いましたけど、あいつだけは面倒みてやらなと思ってね。いい子やし、石垣島から出てきた時から、ずっと応援してたから。歌は上手いから、ひょっとしたら、どこかで売れるかもしれん。仲間やから手伝ってるだけなんですよ。もちろんボランティア。お金は一円ももらっていないし、むしろ飯を食ったら払うのは俺やしね」

 かつてはハワイや沖縄でのバカンスを満喫する姿が撮られたこともあるが、最近は旅行ブームも落ち着いたという。

「海外旅行は仕事を辞めた時は、いっぱい行きました。イタリアに3週間いたり、バリに2週間いたり。でも、あんま好きちゃうな思って。景色とか建物とか見ても、あんま感動せえへん。人に感動するタイプやから。普段は普通にゴルフに行って、普通に仲間と遊んでね。沖縄もハワイも行ってないです。沖縄は去年が最後。ハワイは今年2月に行ったけど、行くのが邪魔くさい。沖縄やハワイの友達は『来ない』って怒ってますね。でも『ハワイ、飽きたでしょ?』とも言ってました。ゴルフしかやることないもんね」

 島田は相当に日焼けしていたが、「ゴルフのためではない」と言う。自宅に“引きこもった”結果なのだ。

「(腕を撫でながら)真っ黒でしょ? 焼けてるのは、作業してたんですよ。自分で庭造りとかしようと思って、石を買うてきて積んだりね。レンガの積み方とか分からんでしょ。だから造園屋の社長を呼んで、ガーデニングというか土木作業を見せてもらってね」

 多趣味な人でも、最後に辿り着くのは自宅や庭の手入れという説もある。あの島田紳助も枯淡の境地に達してきたということなのだろうか。

「先のことは何も考えていないんですけれど、人生でやったことないことを全部しとこうぜ、と。何が楽しいかわからんでしょ。今まで広いようで狭い世界で生きてきたから。ジャズのコンサートにも、まったく興味がなかったんですよ。でも、出会って感動するかもしれないでしょ。(行ってみたら)全然無理でした。20分ぐらいで帰りたくなりましたよ」

 不動産収入などが豊富だからこその“リッチなリタイア生活”だと思いきや、島田は記者に「収入はないです」と断言した。

「お寿司屋さんとかやってますけど、一円も給料、もらってませんから。お店をしたかったから、出資してる感じ。給料もらったら、経営に関わらないとあかんでしょ。やから、なんにもしてないですよ」

 人前に出たのも、14年のRYOEIライブ以来だという。

「あの時はプロデュースではなかったけど、昨日は色々なことをして遊ぼうと考えたんです。曲順も全部決めて、こんな話しようとかプロデュースしてね。やっぱり自分の名前を出したほうが、チケットも売れるじゃないですか。人前で話したいという気持ちは全くない。全くないんですよ。芸能界に戻りたいどころか、全然やる気はないです。昨日も客前で喋って、終わってから、みんなで飲みに行って、わーわー朝まで喋ってる。俺の中では全部一緒なんですよ。でも、いつも遊んでる友達なんかは、俺が舞台に立って喋っているのを見て『違和感あったわあ』と言うてましたね。『芸能人やったんやあ』言うてました」

 島田は3月生まれだが、毎年、自分で自分の誕生日パーティーを開いているのだという。これには相当の情熱を傾けている。

「もう1人、同じ誕生日の友達がいるんで、合同で。そんな時に、上地(雄輔)(39)とかも来て、みんなでショーみたいのをやるんです。一般人がね。だから1カ月ぐらい前から稽古して、1週間前にリハーサルして、みんなでミーティングしながら、『おまえ、あれやれ』とか言ったりね。うちのバー(HASEGAWA)でやってるんですけどね、50人ぐらいしか入らないんですよ。70人ぐらいは来るから、椅子を除けて、ビニールシートを敷いてね。今年は白塗りして、お公家の設定でトークしてました。衣装に15万円かけましたね」

 自分の周りにいる友達と遊ぶ日常が一番――こう主張しているわけだろうが、記者とのやり取りの中では「今でも『会えませんか?』と言う人には、拒む必要がない」とも明かしている。先日はIT界の“大物”と食事をしたそうだ。

「最近会ったのはサイバーエージェントの藤田(晋)さん(45)。テレビに出てほしいということで、もちろん答えはNOなんですけど、会うことは拒否しないです。答えがNOだとわかってるのに、来られたわけですよ。人としては興味あるじゃないですか」

 会食しての結論は「素晴らしい人だった」という。

「感動した。やっぱり若くしてこうなる人は違うねんなあ。ご飯を食べてて、AbemaTVに出てほしいと思って来てるわけでしょう? それを一切、言わないんですよ。2時間くらい喋ってて、こっちから『(AbemaTVへの出演依頼を)言わなくていいんですか?』って訊くと、『答えはNOだと分かってるんで』って、凄く爽やかでした。2、3カ月前のことですね。凄い人おるなあと思って、昨日は側近の人が来てくれた。『君のとこの社長、凄いなあ』って伝えましたよ。IT業界でも変な人はおるじゃないですか、藤田さんは会う前から凄い人だとは聞いていましたけどね。『もしテレビに出るとしたら、AbemaTVに出る』と約束しました。もちろん出演しませんけどね」

 このようにテレビ出演の依頼はいまだにあるが、選挙への出馬話は綺麗さっぱり消滅したという。

「政治家の誘いは、仕事辞めたらありませんよ。仕事してた時は誰でもあるでしょ。タレントやったら、『出てくれ、出てくれ』って。向こうも『出てくれたらラッキー』と思うだけやし、俺が出るわけはない。自分がやるなんて、全くないです。昨日も仲ええ衆議院議員さんが来て、打ち上げで一緒に呑みました。『よくやるなあ、大変やなあ』と話しましたよ」

 お笑いの仲間や先輩とは、どの程度、連絡を取りあっているのか。記者がこんなことを聞いてみると、文字通り「人それぞれ」のようだ。

「(明石家)さんま(63)とは昔から連絡取らへんから。気持ちでつながってて、俺は“親友”、あいつはテレビで“戦友”だと言ってましたね。お互い意志は一緒やと思うしね。(オール)巨人(66)とはたまに連絡とるぐらいですね。『ゴルフ行こう』って。(ビート)たけしさん(71)とは、もともとぼくら世代が違うからね、9歳くらい上やから、もともと会うこともなかったんですよね」

「62歳って、ヘコむ」

 80年代「紳助・竜介」の不良漫才でブレイクした島田だが、イメージチェンジに成功したのが、報道番組の「サンデープロジェクト」(1989〜2010/テレビ朝日系)だ。

 政治家の討論をメインとし、田原総一朗(84)をホスト役とした硬派な番組は、島田の知的なイメージを生み出す原点となった。この番組があったからこそ、「ヘキサゴン」で“おバカタレント”が珍答怪答を連発しても、それをからかって笑いに変え、正答を解説するという役割を、視聴者は違和感なく受け入れることができたのだ。

 陰では相当に勉強していたと推測されるが、今回の取材で島田は、現在「ニュースとか関心ないんですよ」と言い放った。諧謔なのかどうかは分からない。

「テレビの仕事をしている時から、ニュースは見なかったですよ。ゲストは売れているからこそ番組に呼ばれるのに、どんな人か知らなかったり。今は新聞も読まない。読む必要がないでしょう。週刊誌は読まないし、若手芸人のことなんて全然知らんよ。CSとかWOWOWばっかり見てる。だからAbemaTVみたいな、マニアックなほうが面白いよね。地上波は昔からおもろない。CSでは釣り番組見てます。釣りはしてますよ。この間も淡路島行きました。ゴルフは夏はやりませんけど、普段は月に7回くらい行ってますね。スコアは80くらいで回ってますわ」

 島田は筋肉質な身体だが、いわゆるボディビルダーの体型ではない。非常に引き締まっている。むしろボクサーに近い。

「筋トレは老化の防止のために続けてます。ジムには通ってません。ジムは行くか行かないか、天気に左右されてしまうでしょ。だから家の小っちゃい器具でやってるんですよ。鉄アレーとかダンベル。ふくらはぎは部屋の中でつま先立ちをして鍛えてます。松本(人志)(54)みたいに、あんなマッチョにはなってませんからね」

 ただ、老眼は進んでいるらしく、「草野球は最近、行かなくなった」と明かす。「肉体は平気」でも、肝心のボールが見えづらくなってきたのだそう。

「62歳って、ヘコむじゃないですか。老人じゃないですか。昔だったら恋愛したいとか思ったけど、そういうの思わないじゃないですか。それが、62歳にもなって恋愛かと、カッコ悪いなと思うようになりましたね。RYOEIのことは、これからも手伝っていくと思うんですよ。あいつがいい奴でいる限り。みんながボランティアでやってるんですよ、あいつのために。作詞料なんて、入ってこないですよ。何十円ですよ、ほんまに。昔『ヘキサゴン』やってた時はいただきましたけどね、印税を」

 孫は5人。家で孫と遊ぶこともあるという。年長は小学校1年生。「賢い子です」と評した。そして記者とのやり取りで、最後に飛びだしたのは「まあ、ホンマ、平和な日々ですわ」という述懐だった。

 昔は「人生60年」と言った。これがインタビューの全てとなると、島田の近況に「脱俗」やら「遁世」、「隠閑」といった言葉が浮かぶ。果たして本当に枯淡の境地に至ったのか、それともポーズなのか、読者諸兄はどう思われるだろうか?

週刊新潮WEB取材班

2018年9月7日掲載

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