「山口真由」は2年で終止符… 人材流出が加速「財務省」の退職事情

国内 政治 週刊新潮 2018年7月19日号掲載

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「財務省」人材流出で日本は大丈夫か――岸宣仁 (2/3)

 霞が関で「官庁の中の官庁」と呼ばれた大蔵・財務省。経済ジャーナリストの岸宣仁氏が、新聞社の経済記者として記者クラブ(財政研究会)を初めて担当した1981年当時は、〈超エリートの尊称で語られるキャリア官僚が、「辞める」ということ自体考えられない時代〉だったという。(前回より)。それでも別の道を選んだ人々の姿に迫った。

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 ここまでは90年代半ばにかけての話だが、ある年を境に退職者が急増している。そのある年とは前にも触れた「97年」であり(掲載表参照)、大蔵省にとって97年がどんな意味を持ったのか、駆け足で振り返っておこう。

 証券会社の損失補填による証券不祥事に始まり、旧東京協和・安全信用組合を舞台にした中島義雄元主計局次長(66年=以下、名前の後の括弧内は入省年次)、田谷廣明元東京税関長(68年)らのスキャンダル、さらには民間金融機関からの過剰接待と、大蔵行政は底知れぬ腐敗の構図を見せつけた。

 その延長線上で、都市銀行の一翼を担った北海道拓殖銀行の破綻など、金融機関の不良債権処理問題が深刻化の一途を辿る。明けて98年に入ると、職員の逮捕や自殺、そして大臣、事務次官の交代・更迭が相次ぐ。特捜検察による大蔵省接待汚職事件では、キャリアの榊原隆証券局総務課課長補佐(82年)ら4人が収賄容疑で逮捕された。

 未曾有の大蔵不祥事は、同年4月、112人にのぼる職員の大量処分、現職局長・審議官の辞職、官房長の降格によって大きな節目を迎えたのである。

 すでに半数近くが辞めた97年組は、まさに大蔵不祥事がピークに達した時期に新人時代を過ごしている。金融機関の破綻やキャリア官僚の逮捕を横目に見ながら、官僚生活の第一歩を踏み出した彼らにとってその衝撃は想像を超えるものがあり、将来を悲観して連鎖反応的に辞めていったのは容易に想像できる。

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