終身刑ではなぜダメなのか ある無期懲役囚の主張

社会2018年7月12日掲載

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死刑が反省のきっかけに

 実際に美達氏が刑務所内で話をした死刑囚の中には、死刑がきっかけて罪と向き合った者もいるという。

 複数の人を保険金を騙し取る目的で殺害し、死刑が確定してから5年目くらいのAさん。美達氏は、昔から知っている人物だったが、判決確定後はガラリと人相が変わり、まだ50代前半なのに好々爺然とした風貌になっていたという。

 自室でAさんは毎日1時間ほど数珠を手に正座し、被害者の冥福を祈っていた。美達氏は、ある日、Aさんに尋ねてみた。

「今のように反省し、被害者の冥福を祈るようになった、きっかけは何ですか」

 Aさんは、のんびりした口調で、考えながら訥々と話し始めた。

「死刑だって思ったことかな……俺も死ぬんだってな。考えたことなかった、自分が死ぬことは。いつか死ぬのはわかってたけどな。自分の番がすぐに来るなんて……それからだ、相手のことを考えたのは」

「Aさん。もし、死刑でなかったら、相手のことは考えなかったですか」

「わからん……うーん、たぶん、考えないかもな。娑婆に出られる訳だしな……いや、考えたかなあ……何とも言えんな」

「死刑を意識したのは、いつの時点ですか」

「うん、パクられてからだ。刑事に言われたのもあるし、あれだけ何人も殺ってたら、それ以外、ないよなあ……ハハハ」

「何人も殺している間ってのは、1年以上にわたってですが、その間は何か考えたことはないのですか」

「うーん、ないな……もう、止まらんかった。1人殺る度に金がどさっと入ってくるし、自分が天下を取った気分になってな。バレるとは思いもしなかったし、バレたら終わりだからなあ……。狂ってたんだよなあ、今から思うと」

 別の日にはこんな会話もあった。

「Aさん。先日の件ですが、自分の死刑を意識したら、すぐに相手のことが浮かんだのですか。そのことを考えていたら、疑問に思いましたので」

「……うーん、すぐじゃない。何て言ったらいいか、うまく言えんけど、自分が死ぬというより、バッタンコ(執行のこと)されるよな。俺が殺されるってことだな、そうだろ。そう思うと、暫くしてから相手のことを考えるようになった訳だ」

 Aさんは死刑を契機に、人が死ぬということ、人を殺すということについて正面から向き合うようになり、結果として毎日冥福を祈る心境に達したようだ。

 しかし、こういう人は受刑者の中では少数派で、反省している者は全体の1、2パーセントだ、というのが美達氏の見立てだ。

 一方、人を殺しながら「反省なんて考える奴、いないですよ、ハハハ」「反省はいりません。だって、自分らは体で代償払ってんですからね」などという受刑者は決して珍しくないという。

「このような同囚を見ますと、心の中で、自分はこうなってはいけないという決意と、量刑の軽さに対する思いがむくむくと湧き起こります。

 無期囚には、論告求刑が死刑だった者もいますが、首が繋がったせいなのか、自分の所業を一顧だにしません。殺された被害者の境遇と比べますと、何と、不条理なことかと感じます」

 こうした経験から、美達氏は無期懲役囚の立場でありながら、死刑を肯定するようになっていったのである。

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