死刑廃止論に徹底反論する無期懲役囚

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日弁連は反発

 麻原彰晃こと松本智津夫らオウム真理教事件の死刑囚7人に死刑が執行された。それ自体は法に則ったものだとはいえ、事件の大きさもあって、死刑執行そのものの是非もまた論議されている。

 たとえば従来から死刑廃止を強く訴えてきた日弁連は、今回の死刑を受けて「死刑執行に強く抗議し、直ちに死刑執行を停止し、2020年までに死刑制度の廃止を目指すことを求める会長声明」を発表した。

ここで日弁連会長は、遺族らの感情に理解を示しつつも、こう述べている。

「刑罰制度は、犯罪への応報であることにとどまらず、社会復帰の達成に資するものでなければならない。それが再犯の防止に役立ち、社会全体の安全に資することになる。人権を尊重する民主主義社会であろうとする我々の社会においては、犯罪被害者・遺族に対する十分な支援を行うとともに、死刑制度を含む刑罰制度全体を見直す必要がある」

 さらに世界的には死刑廃止が主流であることを述べながら、国際的な批判を浴びる可能性を指摘。

 結びでは「死刑が生命を剥奪するという刑罰であり、国家による重大かつ深刻な人権侵害であることに政府は目を向ける必要がある」と述べて、死刑執行の停止と2020年までの死刑制度廃止を強く主張している。

無期懲役囚の「死刑絶対肯定論」

 こうした廃止論を述べる人たちも、遺族や関係者の処罰感情を無視してよいと言っているわけではない。死刑に代わる刑罰を考えるべきだ、という立場である。

 しかし、問題はそのような刑罰があるのかという点だろう。2件の殺人で無期懲役となり、現在も服役中の美達大和(みたつやまと)氏は、刑務所の中で独自の論考を発表し続けている異色の存在だ。

 本来ならば刑の軽減を求めても不思議はない立場でありながら、美達氏は死刑こそが「人間的な刑罰である」と主張している。

 彼がそのような考えに至ったきっかけの一つは、服役囚たちに接した経験だ。美達氏は、著書『死刑絶対肯定論』の中で、服役囚たちの驚くべき実態を明かしている。彼らに「反省」「更生」を求めるなんて無理な話だ、というのが美達氏の主張なのだ。以下、同書から引用しながら見てみよう。

「務めてみてすぐに気が付いたのは、長期刑務所の受刑者達の時間に対する観念の特異性でした。

『10年なんて、ションベン刑だ』

『12、3年は、あっという間』

『15年くらいで一人前』

『早いよ、ここの年月はさあ。こんなんなら、あと10年くらいの懲役刑なら、いつでもいいね』

『考えてたのと全然違ったよ。こんなに早く時が過ぎるとはねえ』

 新しい受刑者が肩を落として入ってくると、周囲の者から、10年15年はあっという間と笑顔で励まされ、すぐに明るく元気になります。この点については、長期刑受刑者は口を揃えて言います。私の感想も全く同じであり、本当に自分が服役して20年近くも経ったのだろうかと不思議な気がします。まさかこんなに短かく感じるとは夢にも思いませんでした。

 子供の頃に読んだ『巌窟王』では、主人公は14年間獄中にいました。当時は『すごいなあ……』と嘆息していましたが、当所で慣れるうちに『たったの14年か。短かいものだ』と思うようになったのです。今では、15年の懲役刑と聞いても、『何だ。右向いて左向いたら終わりだろう』と言い、同囚たちと笑っています」

 10年、15年自由を奪われるとなれば多少は懲りて反省するのでは、という一般の常識は通用しない、というのだ。そもそもそんなに過酷な環境ではないともいう。

「現在の刑務所は、人々がイメージする昔の暗い刑務所と異なり、暑さ寒さの辛さはありますが、毎日テレビも見ることができ、映画等の娯楽も用意され、厳しい施設ではなくなってきています。以前は注意された日常の言動も許されるようになり、当所では該当しませんが、他施設ではまずまずの食事も給与されます。刑務所というより、悪党ランドのような明るい雰囲気です。どれもこれも『人権のインフレ』のおかげです」

 この「悪党ランド」で、美達氏自身は、己の犯した罪を深く考え、省察した。その末に、至った考えは「殺人事件に対する量刑はあまりにも軽すぎる」というものだ。これは言うまでもなく、日弁連の目指す方向とは逆である。

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