〈悪質タックル問題〉いつまでスポーツ選手への「恐怖支配」がまかりとおるのか 杉山愛を育てた母の教訓

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支配の構造

 日大アメフト部の悪質タックル問題で浮かび上がったのは、いまだに一部の運動部には昔ながらの上下関係、あるいは支配―被支配の構造が存在しているということだろう。行き違いがあったかどうかは別として、監督が「潰せ」と言えばとにかく潰さなければならないと選手が思う関係性が存在していたのは確かである。

 恐怖感情を悪用したかのようなこうした支配の構造は、強くなる手段としてはありうる「必要悪」なのか。

 もちろん、日大アメフト部前監督、コーチらはそのように考えていたのだろう。しかし、そうした考え方自体がすでに前世紀の遺物なのではないか。

 娘の愛さんを一流のプロに育てたことでも知られるテニスコーチの杉山芙沙子さんは、石川遼、宮里藍、錦織圭らトップアスリートを育んだ教育方針について、早稲田大学大学院で論文を書いたことがある。その論文をもとにした著書『一流選手の親はどこが違うのか』の中で取り上げられている、指導者・コーチとの軋轢に悩んだ選手との向き合い方に関する興味深いエピソードをご紹介しよう(以下、同書より抜粋、引用)。

コーチのせいで悪夢も

 杉山さんが開校したジュニアテニスアカデミー(神奈川県茅ヶ崎市)には、他のクラブから移籍してきた選手が少なくない。その移籍の理由の多くは、以前のコーチ達から受けた言葉の暴力や、理不尽な練習を強要されてテニスが嫌いになりかけた、といった精神的な理由だという。

「移籍してきた選手に聞いてみると、ほとんど共通して『コーチの言うことが信頼できなくなった』『テニスが大好きだったのに、コートに立つことすら嫌になった』と言います。精神的に弱っていたある選手は『夜中に恐ろしい夢を見る』と語っていましたし、山の上から石が落ちてくる夢を繰り返し見て心療内科を受診するほどになってしまっていた選手もいました。

 何故、この選手たちはコーチを信頼できなくなってしまったのでしょうか?

 多くの場合、選手はコーチから教わったことを、まずは試してみます。それでしっくりいくか、しっくりいく気配があれば、すぐにできるようにならなくても続けていくことができます。

 問題が発生するのは、コーチの言うことを身体で表現できないか、表現できてもしっくりいっていない場合です。この時、選手は『ここがわからない』とか『何故、上手くいかないんですか?』などの質問をし、コーチの答えを待つのが流れです。ここで、コーチが聞く耳を持ち、選手が解らない点は何なのかを理解し、別の言い方で言ったり、もう少し自分で考える様に促したりすれば、選手は新たな情報に基づいて、指導された技術を試していけます」

説教が長い

 ところが、ここで「どうしてそんなことがわからないのか!」「いいからやれ!」などと頭ごなしに言うコーチがいる。しかもそういうコーチは、強い物腰での「指導」のあとに、決まって長い説教をするのだという。なぜ素直に言うことが聞けないのか、なぜこんな簡単なことが解らないのか、どうしてお前のモチベーションは低いのか等々。

「コーチの言うことを真摯に理解したいと思っている選手たちにとっては、理不尽きわまりない状況です。

 ここでの問題は、一概にコーチサイドにあるとも言えませんし、選手側にあるとも言えないのですが、双方の問題として『コミュニケーション力の欠如』があることは確かです」

 杉山さんのアカデミーにおいては、こうして傷ついてやってきた選手には、以前のスクールでの経験などを聞いたりはせず、先ずは楽しいレッスンを体験してもらうようにするという。「楽しい」といっても楽な練習ということではない。

「確かにコミュニケーションが取れていて、自分の言っていることが理解され、練習が着実に身になっている感覚を取り戻してもらうことが必要なのです」

 そのために選手とコーチは毎日、頻繁に会話を交わしていく。

「すると、今までの練習がどれだけ辛かったのか、面白くなかったのかなどを思い出し、過去を語りながら涙する選手もいます。この時初めて、私達コーチは、その選手がどのような環境で練習してきたのかを知ることになり、同時にその環境に胸が痛くなります。

 この様な練習を繰り返し行うことにより、選手とコーチの間には信頼関係が生まれます。競技を続けていると、ある時はコーチから、またある時には選手から、どうしても譲れない部分が生じて話し合うことも珍しくありません。それでも、信頼関係があれば、上から目線でもなければ下からの媚びる目線でもなく、お互いにリスペクト(尊敬)がある中で『同志としての目線』でのコミュニケーションが成立します。

 お互いがお互いをリスペクトする心があると、コーチも選手の感覚を知ろうとしますし、どうにかして理解してもらおうと言葉を選び、いろいろな言い方を試します。選手もコーチが伝えようとすることを理解しようとしますし、どうしたら『自分が解らない』理由をコーチに解ってもらえるのかを伝えようとします」

 こうしてコミュニケーションを深めていくことによって、選手には笑顔も戻り、エネルギー溢れる練習ができるようになっていくのだ。

選手を苦しめる「スポ根」指導者

 杉山さんは、いわゆる「スポ根」的な鬼コーチの存在を全否定はしていない。しかしながら「特訓」と称して無意味な練習をやらせたり、無駄に体力を消耗させたり、あるいは前述のようにやたらと長時間、説教をするようなコーチには厳しい目を向けている。

「そんなに長い時間かけなければ選手が理解できないのなら、悪いのは選手ではなくコーチの話し方の方です。また、『物事に対する答えは一つではない』と自覚していたら、コーチは自分の考えを選手に伝え、考える時間を与えてから選手自らが答えを出せる様に話をもっていくでしょう。

 コーチが選手に対して苛立って、練習を中断して説教をしているとしたら、コーチ自身が平常心ではありません。ところが、この事実を知っている親達でさえ、コーチに対して何も言えなかったり、言わなかったりしている実態もあるのです。

 今なお根付くこうした間違った練習が、どれだけ子供達=選手達を苦しめ、彼らの人格形成に害を与えているか。コーチ達や親達は、それを知るべきであり、スポーツをコーチングすることの真の意味を考えるべきであると思います」

 杉山さんの主張の正当性は、愛さんを見れば明らかだろう。同書で取り上げられている錦織圭ら、トップアスリートもいわゆる「スポ根」的な環境では育っていない。それでいて世界に通用する実績を誇り、普段の言動も高い評価を得ている。

 日大の監督、コーチらは選手とのコミュニケーションが上手くいかなかったことが問題の原因だと主張している。しかし、それは決して不幸なアクシデントではなく、自らが招いた必然的な結果なのだと考えるべきなのではないか。

デイリー新潮編集部

2018年6月1日掲載

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