新党が分裂、亀裂が生じるパターンは? 元民主党事務局長の警告

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フロムファイブを覚えていますか

 心情からすれば「怒り新党」とでも名付けたかったところだろう。「安保法制反対」を一つの軸とした枝野幸男氏らによって結党された「立憲民主党」。

 今のところ、「希望の党」と比べると、候補者数は少ないものの、「主張ははっきりしている」という好意的な見方もある。

 実のところ、多くの国民にとってわかりにくいのは、ついこの前まで「安保法制反対」と言っていた政治家たちが「希望の党」に合流しているという現状だろう。

 90年代の新党ブーム以降、数多くの新党が生まれては消えて行った。「日本新党」「新党さきがけ」「新進党」あたりはご記憶の方も多いだろうが、「太陽党」「フロムファイブ」「新党みらい」「国民の声」あたりになると、相当な政治通でもどういう党だったのかはもうわからないはずだ。ちなみに「フロムファイブ」は、新進党から細川護煕氏らが離脱して結党した新党で、「5人の議員から始める」というのが党名の由来。他に上田清司(現・埼玉県知事)、江本孟紀(元・プロ野球選手)らがメンバーだったが、実質2カ月足らずで消滅している。

ビジョンこそが大黒柱

 90年代から2000年代初頭にかけての政党の離合集散の歴史をまとめた『『政党崩壊―永田町の失われた十年―』伊藤惇夫[著]』が刊行されたのは2003年のことだった。著者は政治アナリストの伊藤惇夫氏。現在は、政治関連のコメンテーターとしてテレビ番組でもお馴染みの伊藤氏は、実はかつては太陽党、民政党、民主党の事務局長をつとめており、「新党請負人」の異名を取っていた時期がある。

 同書で伊藤氏は、新党のオモテもウラも知り尽くした立場から、当時の「新党ブーム」への厳しい指摘をしている。「昔の話じゃないか」と言わずに、まずは引用を読んでいただきたい。

「政党の流動化は、そうした従来のビジョン・政策軽視の政治から脱却する絶好のチャンスだったはずである。長年にわたる固定化した政治構造を断ち切り、新しい政治、政党を目指すのであれば、まず、その新党に結集するものたちが、基本政策や理念、国家の将来について徹底した議論を積み重ね、明確な方向性を共有すること、つまりは『ビジョンで勝負』する態勢を構築した上で挑戦を開始すべきだった。

 だが、この10年に誕生した政党の中で、自民党に正面から挑んだ新進党、民主党を見ても明らかなように、政策よりも『数合わせ』が先行し、それがやがては分裂、亀裂に繋がるというパターンの繰り返しになっている。

 ビジョンという、いわば政党にとっての『大黒柱』を抜きにして家を建築すれば、結果がどうなるかはいうまでもない。

 確かに自民党にもそれはない。だが、自民党は長い歴史の中で、それがなくてもなんとか家屋を維持する『知恵』を身につけてきた。

 だからこそ、逆に新党はまず、『柱』をしっかりと立てるところから始めることが大事だった。バブルの崩壊以降、方向性を見失って漂流し続けるこの国、国民に、自民党では提示し得ない国家の未来像を示すことが、まともな政党政治の実現に向けた唯一の突破口ではなかったか。(略)

 政界再編もビジョンという『軸』を中心にアプローチが行われていれば、まったく違った形の展開となったかもしれない。

 だが、永田町は今も、相変わらずビジョンも政策も抜きの政争に明け暮れているように見える」

 まだ民主党政権が誕生するよりもはるか前、2003年時点の記述だが、驚くほど現在でも通用する分析だと感じられる方も多いのではないだろうか。

 伊藤氏は、自身、新党立ち上げにかかわった身として、自戒の念も込めて「この10年の政党たちは、むしろ政治を混乱させるだけの存在だったのではないか」という思いを抱いている、とも述べている。

 新党が次々誕生している今、今度こそ過去の歴史の繰り返しとならないことを多くの国民が願っていることだろう。

デイリー新潮編集部

2017年10月6日掲載

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