大西議員に告ぐ「がん患者」は好きな仕事をし続けたほうがよいという医学博士の言葉

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 がん患者は働かなければいい――。

 大西英男代議士が言い放った一言が波紋を呼んでいる。ことが起こったのは15日の厚生労働部会のこと。「受動喫煙の防止」についての議論がなされた際、三原じゅん子参議院議員が「飲食店での受動喫煙防止策は必要。飲食店等で働いているがん患者もたくさんおり、治療している時に、喫煙する客のなかで働く苦しみはどれほどのものか、皆さんにも知ってほしい」と発言。それに対して大西議員が「(がん患者は)働かなくていいんだよ」とヤジを飛ばしたのだ。

 大西議員は22日の囲み取材で「がん患者や元患者のお気持ちを傷つけたことをお詫びする」と謝罪しているが、後の祭りだろう。結局、彼は自民党東京都連副会長の座から降りることとなった。

「働かなくていい」は論外にしても、がんになった場合に患者や家族は、「病気と生活の折り合い」という大きな問題に向き合わざるをえなくなる。

 仕事をどうしようか。家事は、子育ては、介護は……次から次へと考えることが出てくるものの、多くの人は、がんになったという衝撃で頭が一杯になってしまう。そうした生活の悩みを考えながらも、病気や治療のことが頭から離れない。そのことを知る前と知ったあとでは、これまで何気なくやっていたこともできなくなる。これが、ごく普通の反応だろう。

 がんになったことを知ったとき、どのような心構えでいればいいのか。

 数多くのがん患者の悩みと向き合い、「がん哲学外来」を提唱した医学博士の樋野興夫氏は著作『がん哲学外来へようこそ』で、「病気になっても、自分が病人だとは思いこまないでほしい」というアドバイスをしている。その真意を樋野氏の言葉から見てみよう(以下同書より抜粋、引用)。

がんはひとつの個性

「初めてがんになった人、人間ドックなどで思いがけずがんが見つかった人は、病気になったという事実にまず囚われてしまうものです。日常が一変したようにも感じられるはずです。どれほど合理的でビジネスライクな人でも、どれほどの地位に就いている人でも、がんを告知されることは『人生の大地震』なのです。『最新情報を集めないといけない』『良い病院を見つけないといけない』などの思いで頭の中がいっぱいになり、約3割の人がうつ的な症状を呈します。

 健康であること、ずっと会社で働き続けられることこそが生きることのすべてだ、といった思い込みがあると、がんになることが『負け』になってしまい、がんから何かを学ぶことは難しくなってしまいます。

 突然起きた『大地震』も、その人の人生の一部であり、死に直面する状態を免れる人は一人もいません。人間はいつか死ぬという不条理を抱えているのです。

 ただし、『病気』であっても『病人』ではない。これが私の持論です。
 
 病気は遺伝病も含めて誰にでも起こるもので、その人の過ちや責任ではありません。いわばその人の個性のひとつです。

 ひとつの個性で、その人の全人格を語れはしませんね。ですから、がんと診断されたことで『自分はがんなのだ、病人なのだ』と思い込む必要はないと私は考えています。それではあなたの日常をがんにそっくり乗っ取られてしまいます。

 あなたの生活の優先順位の1番目が『がんを心配すること』になってしまって、本当にいいでしょうか。
 
 いままでの生活をできる限り続けたらいいのです。

 人間には様々な面があります。
 
 がんという一面を受けとめつつも、これまでと同じように、可能な限り自分の好きなことや好きな仕事を、無頓着なほどに大胆にしたらよいのです」

 樋野氏の言葉には「がん患者は○○」という括り自体がナンセンスなのだと思わせる力強さがある。国会議員がやるべきことは、がんになっても働きたいという人には、その環境を可能な限り提供できるように努力することなのは言うまでもない。

デイリー新潮編集部

2017年5月26日掲載

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