石破茂元防衛大臣が語る 北朝鮮「有事」と同じくらい深刻で、現在進行形の「有事」とは

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■現在進行形の「有事」

人口問題はすでに「起こっていること」であり、現在進行形の問題です。にもかかわらず、政治家も国民もまだ危機意識が薄い

「結局、北朝鮮は核を放棄するつもりはないのです。核放棄が外交カードであるのはその通りなのですが、それは彼らにとっては切ることができない、永遠に持っていたいカードなのです。
『あの国はもうじき倒れる、もうすぐだ』と15年ぐらい前から言われていましたが、その気配はありません。この事実が意味するところを我々は真剣に考えたほうがいいと思います」
「核を絶対に手放そうとしない北朝鮮に対して、『核など使った日には報復がある。そうすれば北朝鮮も終わりである。そのことをわからせれば、いくら北朝鮮でも使わないだろう』という人がいます。これは非常に楽観的な見方です。安全保障とは『信じるものは救われる』という世界ではないのです」

 これは石破茂氏が5年前に刊行した著書『国難』の一節である。さすが政界きっての防衛通だけあって、朝鮮半島有事が現実味を帯びてきた現在でもそのまま通用する文章だと言えるだろう。
 その石破氏が、近年、安全保障問題とは別の深刻な「有事だ」と指摘している問題がある。出生率の低下とそれに伴う人口減少だ。「ちょっと大げさでは?」と思われるかもしれないが、そうした声に対して、石破氏は新著『日本列島創生論』の冒頭でこう述べている(以下、引用は同書より)

「国家の存立要件とは何か。それは三つあります。
 国土であり、国民であり、排他的統治機構です。
 その大切な国民がこのまま事態が進めば、静かに消えていく。
 これを有事と捉えない理由があるでしょうか」

「敵国が攻めてくるとか、領土を奪われるといったことは、現段階では『起こりうるリスク』です。そのリスクを極力、低減するために、私たちは外交的努力を続け、国内では様々な法案を整備し、自衛隊の力をつけるように努力しています。
 一方で、人口問題はすでに『起こっていること』であり、現在進行形の問題です。にもかかわらず、政治家も国民もまだ危機意識が薄い。
 だからこそ有事である、と私は申し上げているのです」

■「下り坂でもいい」という無責任

 石破氏の危機感とは別に、少子化や、それに伴って経済が縮小することについては、楽観的な見方もある。
「狭い国土に人が多すぎたんだ。明治時代の人口は4000万人ということを考えれば、そのくらいでもいいじゃないか。下り坂を受け容れようではないか」

 こうした主張は、どこかインテリっぽいし、一部では受けも良い。しかし、まったくの間違いだ、と石破氏は反論している。

「これは人口の『数』のみを見て、『中味』を見ていない議論だと言わざるをえません。
 明治時代半ばの人口4000万人のうち、高齢者の占める割合はごくわずかです。
 当時の平均寿命は40代前半。だからこそ明治以降、日本の人口は爆発的に増えました。明治維新から100年間で3倍になったのです。
 戦後、1950年代においてすら日本の高齢化率(人口のうち65歳以上の占める割合)はわずか4・9%でした。それがもう25パーセントを超えています。
 おそらく明治時代の老人、昭和の老人よりも今のシニア世代のほうが若く、お元気なのでしょう。それは実に良いことです。
 しかし、いかに今のシニア世代が元気で若々しく、時に恋愛に対しても積極的であったとしても、若者のように子どもを作ることはできません。また、消費にせよ生産にせよ、やはり限度があります。極端に高齢者が多いようでは、活力ある国家とは言えないのです」

 人口減少を楽観視するのは、若い世代に対してあまりに無責任な考え方であり、子孫に大きな負の遺産を遺すことになる、そしてこの有事に立ち向かうための一つの解決策が、地方創生を進めることだ、と石破氏は主張している。

デイリー新潮編集部

2017年4月18日掲載

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