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涙なくしては読めない、伝説の投手・江夏豊の「奇跡の引退試合」

■球界を去る男たち

球史に残る名投手でありながら、所属チームとは関係なく、通常は草野球しか行われない球場で、引退試合を行った――。

 各球団がキャンプインして、そのレポートが伝えられるようになるこの時期、プロ野球ファンの気分が日ごとに興奮度を増してくる。一方で、昨シーズン終了を機に球界を去った選手も多くいる。年末の「プロ野球戦力外通告」(TBS系)を涙しながらも、ついつい見てしまうというファンも多いことだろう。
 ほとんどの選手がひっそりと辞めていくのだが、スター選手ともなれば話は別。華々しい引退試合を用意されることとなる。大抵は、チームのフランチャイズ球場や、選手ゆかりの球場で行われる。
 ところが、球史に残る名投手でありながら、所属チームとは関係なく、通常は草野球しか行われない球場で、引退試合を行った選手がいる。
 江夏豊投手である。
 なぜそのようになったのか。どのような引退試合だったのか。
 「背番号」を軸に、名選手たちの人生を追ったノンフィクション『神は背番号に宿る』(佐々木健一・著)から、この不思議な、そして感動的な引退試合の模様をご紹介してみよう(以下は、同書の「『28』 江夏豊の完全」を抜粋、引用。敬称略)。

■球団が拒否した引退式

 阪神、南海、広島、日ハムと球団を転々とした江夏が、日本で最後に在籍したのは西武ライオンズである。しかし、西武では首脳陣との確執もあり、最後の年となる1984年には飼い殺しのような処遇を受け、球団主催の引退式も開かれないことになった。同年にやはり西武を引退することになった田淵幸一の引退試合が球団主催で行われるのとはあまりにも扱いに差があった。
この仕打ちに対して、
「一時代を築いた人間に、あまりに失礼じゃないか!」
 と憤ったのが、雑誌「Number」の初代編集長・岡崎満義や同誌のスタッフたちである。創刊号の特集記事「江夏の21球」以来の親交があった彼らにとって、あれほどの実績のある大投手の引退式が行われないことは許せなかったのだ。
 自分たちの手で引退式を開こうと考えた彼らは、当初、江夏氏とゆかりのある他の球団に、「球場を貸してくれないか」と頼むが、ことごとく断られてしまう。
 その状況を米国から帰国したばかりの江夏(当時、メジャーリーグに挑戦しようとしていた)に伝えると、こんな返事が返ってきた。
「分かった。それなら草野球の球場でもええわ。それの方が案外、ワシらしい引退試合になるかもしらん。やってくれるというありがたい人がいるかぎり、球場はどこでもかまわんと思う」
 こうしてようやく決まった舞台は、東京・多摩にある「一本杉球場」だった。

■1万6000人のファンが集結

 1985年1月19日の一本杉球場は、異様な熱気に包まれていた。
 引退式は午後2時からだったが、午前10時にはすでに1000人を超す行列ができていた。一番乗りの人は、朝5時から並んでいた。急遽、開場時間を1時間繰り上げ、12時にした。
 その後も観客が次々と押し寄せた。阪神の応援団も駆けつけ、名物「六甲おろし」と「江夏コール」が響き渡る。スコアボードの下には、「江夏よ、米大リーグへさらに飛翔せよ!!」と大きく書かれた横断幕が掲げられた。
 マイクの前に岡崎が立ち、大観衆に向かって挨拶する。
「江夏投手は数々の大記録を打ち立てております。18シーズンにわたって2回のMVP、通算勝ち星206勝、193セーブ、2987奪三振と偉大な数字を残していますが、私たちにとってはその数字よりも、江夏投手の力感あふれるピッチングそのものに感動し、声援をおくったと思います。
 江夏投手がユニフォームを着て、日本で正式にピッチングをするのは、今日が最後だと思います。どうぞ江夏投手の勇姿を心の奥底にしっかりと焼きつけて下さい」
 
 超満員のスタンドは、江夏の登場を今か今かと待ちわびている。
 ところが、なぜか目の前では、地元の少年野球チーム「多摩ファイターズ」対「多摩市野球スポーツ少年団」の試合が始まった。
 1回の表・裏と、のどかな試合が進む。
 2回の表、多摩ファイターズ“臨時”監督として登場した男が突然、マイクを持って喋り出した。
 ビートたけしだった。
 たけしと江夏は、よく草野球をやった仲だった。この日、江夏のためにわざわざ一本杉球場まで駆けつけてくれたのだ。たけしが選手交代を告げる。
「ピッチャー交代、江夏豊!」
 観客が一斉に「江夏! 江夏!」と声を合わせる。
 球場管理事務所からグラウンドへ向かう32段の階段を、ユッサユッサと体を揺らしながら、神妙な面持ちで降りていく江夏。
 バックネット裏の扉を開け、いよいよ江夏が大観衆の前に現れる。
 その姿を見て、1万6000人の大観衆が一斉に歓声をあげた。

「28」。

■背番号28の復活

 江夏の背中に、10年ぶりにあの数字が蘇っていた。
 引退式で身を包んだのは、現役最後の西武「18」ではなかった。
 ファンの心に残る“完全なる投手”江夏豊の背番号、阪神の「28」だったのだ。

 このあと、球場には球団の垣根を越えて、名選手たちが次々に「代打」として登場して、江夏と対戦した。落合博満、高橋慶彦、福本豊、山本浩二、大杉勝男、斉藤明夫、江藤慎一……。

 次々と登場する名選手に、ビートたけしもため息をつきながら、
「役者が違うわ……。オレが来る場ではなかったみたい。でもお役に立てて」
 と言い残し、急いで次の仕事へ向かった。
 このあと、江夏は1万6000人の観客に向けて、挨拶をする。
「江夏豊にとって、これほど、すばらしい、引退試合はございません。
 胸を張ってアメリカに行ってきます」
 そう締めくくると、金網越しにファンから差し出された手を一人一人握りながら球場を歩いたのである。

デイリー新潮編集部

  • 2017年2月19日 掲載
  • ※この記事の内容は掲載当時のものです

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