アンタッチャブル柴田さんが会見で見せた絶妙の言語センス 梶原しげるさんの解説

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 会見をやればやるほど好感度を下げる会見もあれば、株が上がった会見というものもある。

 そのうちの一つがアンタッチャブル柴田英嗣さんの会見だろう。知人であるファンキー加藤さんに妻を寝取られ、離婚にまで至ったにもかかわらず、柴田さんの対応、話しぶりが見事だ、と評判になっている。

 どこが見る人たちを唸らせたのか。

 これまで舛添知事の会見について鋭い分析をしてきた梶原しげるさんは、柴田さんの会見の中で「呼称(呼び方)」に注目して、このように解説してくれた。

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 柴田さんの巻き込まれた騒動そのものについての議論は他の方にお任せするとして、私が注目したのは、「呼称」でした。

 会見で柴田さんは、一貫して「加藤ちゃん」と相手の男性のことを呼んでいました。それも「カトちゃん」と聞こえるような感じの発音で、とてもフランクな感じでした。

 これがとても絶妙だったと思います。

 もともと芸能界、テレビ業界では「ちゃん付け」が多用される傾向があります。

 これは普通の企業などと比べて、「立場の上下」が微妙なケースが多いことが影響します。

 たとえば、20代の社員AD(アシスタントディレクター)と、孫請けの制作会社の50代のP(プロデューサー)。

 PとADという関係性や年齢だけを見ればADを呼び捨てにしても構わないのですが、実際には力関係は社員の方が上であるとも言えます。

 そういう時、このPはADを「○○ちゃ~ん」と呼ぶわけです。「さん」だとよそよそしかったり、卑屈な感じがしたりするし、かといって呼び捨てだと相手が「ん?」とひっかかるかもしれないからです。

「加藤ちゃん」という絶妙のチョイス

 知り合いの芸人さんの中には、自分よりも売れている後輩を「ちゃん付け」で呼ぶ、という人がいましたが、これも似たような心理からでしょう。

 本来、柴田さんは会見で「加藤さん」「彼」と表現しても問題はなかったはずです。しかし、それではどうしてもよそよそしさが生まれて、見ている側は「冷静に話してはいるけれども、やっぱりかなり怒っているんだな」「わだかまりは消えていないな」と強く感じたでしょう。

 かつて、貴乃花親方が兄弟でもめている時に、兄のことを「花田勝氏」とわざわざ「氏」をつけて呼んだことがありました。この時、誰もが「もう身内ではない、と本気で思っているんだな」と思ったものです。

 柴田さんが遭った目を考えれば、相当な怒りを表現しても世間は共感してくれたことでしょう。ところが、柴田さんがここで「加藤ちゃん」を選択したことで、何となく会見全体に「救い」が生まれました。そして柴田さんが口先だけではなくて、本当に広い気持ちで関係者のことを考えていることが伝わってきました。

 結果として、深刻さが薄れたことで、関係者全員の傷が浅くなったのです。

 柴田さん自身にしても、本来は芸人さんですから、あまり深刻で暗い「被害者イメージ」がまとわりつくのはプラスにはならなかったでしょう。

 このように考えると、「加藤ちゃん」は実に絶妙なチョイスだったのです。さすがは言葉を商売道具にしている芸人さんだけのことはあります(同じように言葉を商売道具にしているはずなのに、会見でしくじりまくっている知事もいるのですが……)。

呼称は人間関係を決める

 このように「呼称」は話者の印象や、人間関係に大きな影響を与えます。

 拙著『不適切な日本語』でも、呼称問題についてはあれこれ考えたことを書きました。この分野の第一人者、滝浦真人教授は、人を呼ぶことは、自分と相手との基本的な関係を決めることであり、「呼称」は対人関係を決定づける重要な要素である、と説いています。

 呼び捨て、「君」「さん」「ちゃん」だけではなく、世の中には実に多くの呼称があり、それを知っておくことは人間関係を円滑に進める上で重要です。

 テレビのレポーターなどは、よく道行く人に「お父さん」「お母さん」というように声をかけています。これもまた相手との距離を縮めようという「工夫」ではあるのですが、相手が子を持たぬ人や、見た目よりもはるかに若い人である場合には失礼ですし、逆効果でしょう。実際に、

「私はあなたを産んだおぼえなどありません」

 と怒る方もいるようです。

「ちゃんママ」という知恵

 日本語として「正しい」かどうかはともかくとして、私が感心する知恵は、ママ友同士などで用いる「○○ちゃんママ」という呼称です。相手を苗字で呼ぶとよそよそしいが、かといって名前で呼ぶと今度は近すぎる感じもする。この場合「ちゃん付け」も微妙です。

 そんな時に、子どもの名前を使って「しげるちゃんママ」という風に呼ぶとしっくりくる。このバランス感覚はなかなかのものだと思うのです。

 ちなみに、私は現在、近所で「ルルちゃんパパ」と呼ばれています。ルルは私の飼い犬の名前で、呼んでくださるのは「犬友」のオバさまたちです。

「夕方近所をうろつく怪しいオッサン」ではなく「ルルちゃんという名の犬を我が子のように可愛がるバカパパ」と認識されて、声をかけてもらえるのは嬉しいものです。このくらいの呼び方が、ご近所づきあいでは「ほどが良い」ように私は感じます。

梶原しげる

デイリー新潮編集部

2016年5月20日掲載

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