“ありのままの”“自分たちのサッカー”をどう考える? 養老孟司さんが説く「自分探しなんてムダなこと」

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 早いもので今年ももう3分の2が過ぎようとしている。

 今年の流行語は何になるだろうか。「レジェンド」「号泣」「ダメよ~ダメダメ」「STAP細胞」等々。すでにいろいろな候補が登場しているが、「隠れキーワード」とも言える言葉がある。

「自分」だ。

「ありのまま」?「自分たちのサッカー」?

 え? そんなフツーの言葉のどこが? と思われるだろうか。

 でも、「アナと雪の女王」の「ありのままで」のサビの歌詞はご存知の通り「ありのままの“自分”になるの」だ。ありのままの自分になって自由になる、という歌詞はどこかかつての大ヒット曲「世界に一つだけの花」にも通じるところがある。とにかく、簡単に “自分”を肯定的に捉えることが前提だ。こうした「ナンバーワンではなくてオンリーワンでいい」というメッセージは多くの共感を得ているようだ。

 一方で、「自分」絡みのコメントで不興を買ったのがサッカー日本代表かもしれない。選手たちは大会を終えて口々に「“自分”たちのサッカーができなかった」とコメントしていた。結果が悪かったこともあり、このコメント自体かなりバッシングの対象にもなったのである。「自分たちのサッカーって何だよ」「相手がいるんだから当たり前だろ!」等々。そういえばかつての大会後、中田英寿選手が「自分探しの旅」に出るとコメントしたときにも、賛否さまざまな反応があったことが思い出される。

自分探しなんてムダなこと

 そして、もう一つ「自分」といえば、東大名誉教授の養老孟司さんが『バカの壁』に始まる「壁」シリーズの最新刊として刊行したのが『「自分」の壁』。

 この本は、「自分とは何か」という根源的な問いに答えるところから始まっている。著者の養老さんは、幼稚園の頃からその問題を考えてきたというだけあって、答は実に深く、また意表をつく指摘も多い。中でも、「自分探しなんてムダなこと」というオビのコピーは、自分探しに汲々としている人の胸に刺さるのではないか。

 戦後の日本では、戦争への反省もあって「個人」の「個性」をひたすら重視する教育をするようになった。しかし、それ自体が本当に日本人に適していたのか。同書の中で養老さんは疑問を呈している。

「『個性を伸ばせ』『自己を確立せよ』といった教育は、若い人に無理を要求してきただけなのではないでしょうか。身の丈に合わないことを強いているのですから、結果が良くなるはずもありません。それよりは世間と折り合うことの大切さを教えたほうが、はるかにましではないでしょうか」

 たしかに「アナ雪」のエルサは当初、世間と折り合う方法を知らなかったが、最終的に自分をコントロールする方法を見つけて、幸福をつかんでいる。ある意味で、「折り合う」ことをおぼえたのかもしれない。

 こんな意見に対して、「それでは世間や他人の顔色をうかがってばかりの人間になるんじゃないか」と心配する人もいることだろう。しかし、「そんな心配はいらない」と養老さんはこう述べる。

「個性だとか自分らしさなんてものは、そもそもすでにその人の中にあるのです。そんなものを探す必要はありません。『自分探し』なんて言うけど、じゃあ探しているのは誰なんだよ、ということになる。
 伝統芸能の世界では、弟子は徹底的に師匠を真似ます。『とにかく同じようにやれ』と言われ、長い間、真似をし続ける。それでもどこか師匠と違うところがどうしても出てくるものです。それが個性であり、『自分らしさ』でしょう。
『本当の自分』というものは、最初から発見できるものでも、発揮できるものでもありません」

 こうしたメッセージへの共感もあってか、同書はすでに20万部突破のベストセラーに。『バカの壁』に始まる「壁」シリーズは4冊の累計で600万部を突破している。きっかけは「アナ雪」でもサッカーでもいいが、たまには「自分」という大きな問題を考えてみるのもいいかもしれない。

デイリー新潮編集部

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