それでも「改憲」したいですか?(下)(石田純一)

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石田純一の「これだけ言わせて!」 第13回

 改憲を主張する人たちは、日本国憲法は制定されてから時間が経過し、時代に合わなくなっている、と主張する。たしかに、そういう面を“改良”できるなら、それに越したことはない。なにがなんでも改憲すべきでない、と頑なに訴えるのはどうかと思う。

 だが、少なくとも2012年に示された自民党案を見るかぎり、それは“改悪”でしかない。日本国憲法では、人類が長い年月をかけて努力し、ようやく獲得した基本的人権、自由や平等が保障されている。ところが自民党案は、いま国民が当たり前に享受している権利を制限し、国家や社会の秩序の維持を優先しようとしているのだ。

 この論考の(上)と(中)を読んでいない方は、ぜひ目を通していただきたいが、まずは話を先に進めたい。あまりにも危険な“改悪”に驚きを禁じ得ないのが、日本国憲法第99条を改めた自民党案である。いまの第99条の条文は、

〈天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ〉

 というものだ。つまり、憲法が権力を縛っている。ところが、このテーマを扱った自民党案の第102条には、まず〈1項〉として、

〈全て国民は、この憲法を尊重しなければならない〉

と書かれ、続いて〈2項〉として、とってつけたようにこう書かれている。

〈国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う〉

 要するに、自民党案は、憲法が権力でなく国民を縛ろうというのだ。

 自民党案では(上)と(中)で述べたように、日本国憲法第13条で保障されている個人の尊厳や幸福追求権も、第21条で保障されている集会、結社、言論の自由も、〈公の秩序〉に反した途端に制限される。そのうえで〈憲法を擁護する義務〉が加えられたら、どうなるか。僕のように自由に発言した途端に、逮捕されてしまうということだろう。

 横浜事件を知っているだろうか。太平洋戦争さなかの1942年、雑誌「改造」に掲載された論文が「共産主義的だ」として販売禁止になり、筆者が検挙されたのだが、それだけに止まらなかった。捜査中に、筆者を中心とした集合写真が見つかると、共産党再建の謀議を行っていたと決めつけられ、戦争に批判的なジャーナリズムへの弾圧へと拡大し、編集者や新聞記者ら約60人が逮捕。約30人が治安維持法違反で有罪となり、革や竹刀を使った激しい拷問の末に4人が獄死したのである。

 憲法が縛る対象が権力から国民に切り替わったときに起きるのは、極論すればこういうことだ。先に述べた〈公の秩序〉を優先する自民党案の考え方は、治安維持法にもつながりかねない。いま、政府と憲法を変えようとする勢力は、いったいどこに向かい、日本の国体をどうしたいのか。そこが非常に問題だ。間違いないのは、国民の権利より国が上位の社会、そして統制がとれた国民を望んでいるということだ。欧米の民主主義国家と価値観を共有するのをやめ、100年以上、時代を逆行する“改悪”である

 事実、自民党が憲法に盛り込もうとしている「緊急事態条項」は、自然災害のほか、内乱や外部からの武力行使などの緊急事態の際、行政府が立法府や司法の上に立てるようにするもの。政府がひとたび緊急事態を宣言したら、だれもが公の機関の指示に従わなければならなくなるのだ。自然災害が多発している日本では、政府が緊急事態を頻繁に宣言できるということでもある。そして緊急事態であるかぎり、言論の弾圧も出版の差し止めも政府が自由にできてしまう。さながらナチスの全権委任法で、こんなものが成立してしまえば、日本はもはや近代国家とはみなされないだろう。

 繰り返すが、憲法を“改良”するのは悪いことではない。だが、人類が多大な犠牲のもとに獲得してきた権利をないがしろにするこんな“改悪”だけは、断じて許してはならない。

石田純一(いしだ・じゅんいち)
1954年生まれ。東京都出身。ドラマ・バラエティを中心に幅広く活動中。妻でプロゴルファーの東尾理子さんとの間には、12年に誕生した理汰郎くんと2人の女児がいる。元プロ野球選手の東尾修さんは義父にあたる。

2018年12月3日掲載

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