私は娘の育て方を間違えた! 「大塚家具」創業者が吐露した“親ばか” 悔恨記

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 父娘の確執は、思わぬ局面を迎えつつある。「大塚家具」創業者の大塚勝久氏(75)と、長女・久美子氏(50)との諍い。3年前に父を放逐して“家業”を手中に収めた長女は、あろうことか苦境の只中にある。今回、勝久氏があらためて騒動を振り返り、娘への思いを余さず吐露した。

 まさか、たった3年でダメになるとは思いませんでしたよ。自分たちの方針が間違っているのは、久美子は誰よりも先に気づいていたはずなのに……。

〈現在「匠大塚」の会長職にある勝久氏は、訥々と語り始めた。久美子氏が率いる大塚家具は不振を極め、先月には身売り交渉が進行中と報じられたばかり。8月14日に発表された中間決算では20億円の赤字を計上、12月期通期でも最終損失34億円との見通しで、3年連続の赤字は確実となっているのだ。〉

 2015年3月27日、私が久美子によって追放された時点で、会社には100億円を超える手元現金や、数十億円にのぼる有価証券など換金可能な資産が200億円近くありました。だから久美子が社長になって多少事業が上手くいかなくても、20億円の赤字で10年間は持ち堪えられると楽観視していたのです。

 ところが、やはり商売は難しい。大塚家具は従業員、取引先、株主、そしてお客様のどれが欠けてもいけない「円」なのに、全てがガタガタになってしまいました。現在では手元現金が十数億円にまで減ったと聞きますし、いつ底を突くかも分からない。もう私にも手の打ちようがありません。

〈父と娘が株主の委任状争奪戦を繰り広げる「プロキシーファイト」は、骨肉の争いとして世間の耳目を集めた。結果、久美子氏は“社外取締役”や“ガバナンス”を武器に勝利を収めたのだった。〉

 当時、すでに久美子との間にコミュニケーションはありませんでした。それどころか今思えば、久美子の画策はもっと昔から始まっていたのです。世間では3年前に突然、私を解任したように思われていますが、それは違う。例えばこんなこともありました。

 13年3月に行われた取締役選任を行う取締役会で、久美子は弟の勝之(現「匠大塚」社長)を取締役にする決議に頑なに反対し、自分の知り合いの弁護士を社外取締役に加えるよう主張しました。朝の10時に始まった取締役会が、夕方になっても終わらない。私はその弁護士に会ったこともなく、そんな人間を社外取締役にするわけにはいかない。すると久美子は「受け入れられないのなら会社を辞める」と言い出し、最終的には久美子の案だけが承認されたのです。

 私と二人三脚で会社を盛り立ててきた弟が取締役になれば、私の味方が1人増えることになる。それが久美子は嫌だったのでしょう。

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