「パックマン」生みの親 故・中村雅哉さんの“斜めハンコ”伝説

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世界的ヒットゲーム「パックマン」(PAC-MAN WEBより)

 年金生活に入った団塊諸氏も楽しんだであろう、世界的なヒットゲーム「パックマン」。その生みの親でもあるナムコ(現バンダイナムコHD)の中村雅哉さんが、亡くなった。享年91。

 横浜国大(旧・横浜工業専門学校)の造船科を卒業した中村さんが、ナムコの前身にあたる中村製作所を立ち上げたのは、1955年。デパートの屋上に電動木馬を設置したのが始まりだった。

 バンダイナムコHDの広報担当者が言う。

「実家は東京・神田で銃砲店を経営し、家業の手伝いをしていました。規制が厳しい商売だったため、自由で将来性のあることをしたいと考え起業したそうです」

 80年代に入るとインベーダーゲームの流行に倣って、ナムコも「パックマン」や「ゼビウス」といった業務用ビデオゲームの販売を開始。中村さんは社長として手腕を振るった。

「パックマンが出るまでは、敵と撃ち合うような殺伐としたゲームが市場を占めていました。そこで、ゲームセンターに女性を呼ぶため、楽しく出来るものということから、食べるというコンセプトになったのです」(同)

 結果、チャーミングなパックマンが誕生した。

「モノづくりにこだわりがあって、ネーミング一つとっても、なかなか“ウン”とは言わなかったそうです。開発者がゲームのタイトルなど、決裁を貰いに行くと、斜めや横向きにハンコを押す。すると、社長は納得していないんだな、さらに努力をしなくては、という気にさせられたそうです」(同)

 一方で、原点のアミューズメントパークなどの分野も拡大。ゲームだけでなく、エンターテインメントに力を注いだ人生だった。

週刊新潮 2017年2月9日号掲載

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