パラ400メートル銅「辻沙絵」、ハンドボールでも一流だった

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 リオでは、パラリンピックでも日本勢がメダルラッシュ。オリンピックに引けを取らない活躍を見せていたが、なかでも一際注目を集めたのは、日体大4年の辻沙絵選手(21)である。陸上競技を始めてからわずか1年半で、表彰台に立った“超新星”なのだ。

 辻は、陸上女子100メートル、200メートル、さらに400メートルでも日本記録保持者である。

 リオではその3種目のレースに出場し、400メートルで自己ベストには及ばなかったものの、1分0秒62のタイムを叩き出し、銅メダルに輝いた。

 いまでは、すっかりトップスプリンターの辻だが、陸上を始めたのは昨年の春から。それまでは、ハンドボールの一流選手だった。

 出身は、北海道・函館。生まれつき、右腕のひじから先がない障害を持っていたという。

 彼女の父親、正樹さん(54)が明かす。

「私たちは、沙絵が幼いときから障害者であるという意識を持たずに育ててきました。ですから、小学校もずっと健常者と同じクラスです。小学5年のときに、学校の先生に誘われ、娘はハンドボールを始めました。中学でもハンドボールを続けたのですが、そこは全国大会の常連校でした。顧問の先生は、ボール遊びで終わらせるのではなく、競技として厳しく指導をしていました」

 辻は、1年生の後半からレギュラーになったという。

「いまも身長は158センチと小柄ですが、その分、とてもすばしっこく走り回った。ボールを左腕で胸に巻き込むようにキャッチすると、意表をつくフェイントで相手を抜き、シュートを打つのが得意でした。中学2年、3年と続けて、全国大会に出場し、沙絵はどちらの年も北海道の優秀選手賞を貰うことができました」(同)

美形でも評判に

■掛け持ち

 さらにハンドボールを極めるため、強豪校として知られる水海道二高(茨城県)に進学する。

 正樹さんが続ける。

「中学2年のとき、ハンドボールの専門誌に掲載された紹介記事を読んで、水海道二高に行きたいと決めていました。沙絵の夢は、ハンドボールで実績を積み、それを活かして教員になることでしたから、反対はしなかった。ただ、沙絵は中学3年のとき、右足の十字靭帯を切断し、高校1年はリハビリに費やした。そのころ、母親には“もうやめたい”と弱音を吐いていたみたい。母親が“なら、やめれば”と言うと、逆に発奮し、2年からはレギュラーとして起用されるようになりました」

 日体大へはスポーツ推薦で入学し、ハンドボールを続けた。

「大学からパラリンピックを目指すことを勧められ、陸上は掛け持ちで始めました。これまで、健常者と同じコートでプレーしていたのに障害者スポーツに転向することには、娘も葛藤があった。ですが、昨秋に出場した世界選手権の100メートルで、6位という結果に終わった。その悔しさから、陸上一本に絞ることに決めました。娘からすれば、ハンドボールを捨てたからにはパラリンピックでメダルを取りたかっただろうし、それを叶えられて本当に良かったです」(同)

 陸上界のニューヒロインが次に狙うのは、もちろん東京パラリンピックでの金メダルである。

「ワイド特集 ワケありの人物」より

週刊新潮 2016年9月29日号掲載

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