SMAP解散宣言から約1カ月 ツアーも紅白も拒否するメンバーの“お子様ぶり”

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「SMAP解散宣言」からおよそ1カ月。記者会見のみならず23回を誇る紅白出場も拒否というのが既定路線である。大金持ちとなった四十路の国民的アイドルに惻隠の情を望むべくもないのか。交渉の裏を見ればそれだけ、5人の滑稽なお子様ぶりが際立つのだ。

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5人揃っての紅白出場はもう見られない?

 25年前、まだ6人だったSMAPのデビューは9月9日。その前日、台風の影響をもろに受け、嵐の「西武園ゆうえんち」で行なわれたデビュー・イベントを、当時18歳だったキムタクの「一緒にシャワーを浴びようぜ!」の呼びかけを、甘美な過去として振り返るSMAPファンも少なくなかろう。

 歳と共に内面の充実を重ねたファンと違って、5人は大人になりきれなかった、ということである。

「解散の一報が流れた8月14日のあと、彼らが一堂に会したのが24日の『SMAP×SMAP』収録。視聴率があがったこと以外は解散発表前と何ら変わらなかったですね。険悪でもないし。というのも、普段から本人たちは喋らないから」

 とスタッフのひとり。現場もこの光景に慣れきっていて、それゆえに、“大人の対応”などと評するのだが、内部では幼稚な精神論を振りかざす5人の姿があった。

■5人揃っての活動に消極的

 たとえば、ジャニー喜多川社長(84)の号令を受け、6月16日に、中居正広(44)、木村拓哉(43)、稲垣吾郎(42)、草なぎ剛(42)、香取慎吾(39)全員が渋谷の社長執務室に集まったときのこと。1月の解散騒動後、それは初めてのことなのだが、ジャニーズ事務所関係者は、

「みなブスーッとして、1人1人指名しない限り喋らなかったようです。香取と草なぎは“5人ではできない”の一点張り。中居はよく喋るけど、何を言っているのか要領を得なかった」

 とし、こう続ける。

「“吾郎、剛、慎吾が5人揃っての活動に消極的で、俺は3人を守らないといけないからそれに同調したい。歌番組には出たくない”というスタンス。稲垣は、“やらなきゃいけないですよね”と社会性はあるんだけど、“俺だけじゃ説得できないもん”とも。まあ、もともと、投票したら過半数につくタイプなんですが……。で、木村だけが、“仕事やるために解散騒動を乗り越えたのになんでやんないの? 何があろうとやるべきじゃん。はぁ……俺には全然わかんないわ”と目をギラつかせていたんです」

■「たかが歌番組の1つでしょ」

 会議は踊らず、進まず。これと相前後し、ジャニー社長は、

「ツアーはきちんとやろうよ」

 と諭してきたものの、木村以外は首を縦に振ることはなかった。活動休止が現実味を帯びてくるなか、社長は3つの提案をする。

「『スマスマ20周年』を記念し、日本武道館で感謝祭を9月にやる。そして紅白出場。更に、東京ドームで毎年やっている『ジャニーズカウントダウンコンサート』に出て、“これまでありがとう”の気持ちを伝えよう」

 これに対して中居は、

「新曲がないんだから紅白は事務所が断ればいいじゃん。なんでそんなにシビアに考えないといけないの? たかが歌番組の1つでしょ。また気分が乗ったら出ればいいじゃん」

 と反駁するばかり。ジャニー社長が、

「20年以上もお世話になっている紅白に、何の理由も説明もなく出たくないじゃ済まないよ」

 諄々(じゅんじゅん)と人生訓を垂れても、前言を撤回することはなかった。

■「解散がふさわしいんじゃないか」

 その後、7月25日から8月5日にかけ、事務所幹部は1人ずつと方向性を巡って面談している。

「香取と草なぎは、“できれば『スマスマ』を9月に降りたい”と言っていました。制作する関西テレビは来年3月まで営業枠を売ってしまっているから無理だと言ったんですが、木村以外はやる気ゼロ。関テレ並びにフジテレビと話し合って、先方には役員会にかけて頂いて、12月までだったら譲れるということになった。だから、2人には“12月まではマスト”と伝えたわけです」(前出・事務所関係者)

 スマスマの年内最終回は12月26日、SMAPの活動も年内いっぱいでひとまず休止する、ということで一旦は妥結を見ていたはずが、香取と草なぎはこう言って態度を翻したのだった。

「いろいろ考えたけれど、休止というのは再開しなければならないということ。でも現状は再開できる状況でもないし、再開するつもりもない。だとしたら解散がふさわしいんじゃないか」

 人間関係の対立が極まってある種の帰結を求めるように、息苦しさを訴え出た。

 8月10日、解散が決まった瞬間である。

■過去にも解散危機が

 長年2トップを張ってきた中居、木村ではなく、香取が事の発端になったことは、他のメンバーのみならず事務所幹部を驚かせた。もっとも、5人のわだかまりや解散危機というものは今回が初めてではない。

「工藤静香との結婚前、何度か木村が独立を画策し、それで関係がギクシャクしましたね」

 と、これはさる芸能プロ幹部の打ち明け話である。

「そのあと、いまから10年くらい前のことですが、今度は中居を外そうという話に4人が乗っかる動きがありました。その際は、あるテレビ局のプロデューサーが4人を必死に説得して元の鞘に戻したんです」

 永田町もかくや、の花いちもんめを重ねてきたわけだ。

特集「解散宣言から1カ月! 見えてきた交渉の裏の裏 紅白を拒否する『SMAP』は大金持ちの四十路のお子様」より

週刊新潮 2016年9月15日号掲載

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