初の国産ジェット旅客機MRJ、Uターンで続く“茨の道”

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 またしても米本土上陸は成らなかった――。

 三菱航空機が製造、つまり零戦の遺伝子を受け継ぐ、我が国初のジェット旅客機「MRJ」が米国ワシントン州のグラントカウンティ国際空港を目指したのだ。

 しかし、8月27日は愛知県営名古屋空港を離陸後、空調の監視システムに異常が見つかって、とんぼ返り。部品を交換し、翌28日に再出発したものの、再び空調システムに不具合を検知して、函館上空でUターン。

 なぜ北へ針路をとったかと言えば、70人から90人乗りで小型のMRJの航続距離は、標準タイプで2000キロ程度。8000キロ先の米国までは、新千歳空港、カムチャツカ半島、アラスカで給油しつつ飛ばねばならなかった。その目的は、米国で試験飛行を行い、開発を加速するためだった。

「空調システムの不具合は飛行の安全に影響しない」

 とは、三菱航空機の弁だが、エアコンが効かない旅客機など客には不快この上ない。しかも2日連続だ。

「確かに2日連続で同じエラーというのは印象が良くないですね。夜通しで直して出発したわけですが、焦りがあったかもしれません」

 とは『翔べ、MRJ』の著書もある航空機担当記者の杉本要氏。

 台風10号が接近中の頃で、9月9日には試験拠点の開所式も予定されていたが中止になった。なにより、納入までのスケジュール変更は既に4度も行われていた。

「旅客機開発に遅れはつきもの。ボーイングやエアバスですら、設計見直しなどで3~4年の遅れがあります。旅客機は、就航までに国の航空当局による認可“型式証明”を受けなければならないのですが、YS-11以来、およそ半世紀ぶりに国産旅客機を製造する日本では、造る方も審査する方もどこまで安全性を証明すればいいのか知っている者がいない。それによる遅れも大きいのです」(同)

 米国では機体ごと“冷凍庫”に入れられるような過酷な試験も行われるという。

 多少の遅れを気にするよりも、航空大国日本の復活を見せつけるため、より完璧な姿で旅立って貰いたい。

週刊新潮 2016年9月8日号掲載

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