小池百合子、女帝の座を射止めた振る舞い術 キャスター時代の異名は「ヒラメ」

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 ここ4年弱で3回目、今回も50億円の税金を投入したバカ騒ぎならぬ都知事選に、小池百合子元防衛相(64)が圧勝。日本新党を皮切りに、新進党、自由党、保守党、自民党と5つの政党を渡り歩き、挙句には女性で初めて党三役の一角を占めた自民党に喧嘩を売り、この選挙戦に打って出たのだった。まず、政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏に女帝誕生の要因を分析してもらおう。

「小沢一郎に小泉純一郎。彼女は、その時々の権力者に近づき、政党を転々とする『政界渡り鳥』と揶揄されてきました。しかし、今回の選挙では彼らから盗んだ『技』をちゃんと活かしていましたね」

 去る6月29日の電撃出馬会見は、郵政選挙を仕掛けた小泉流だ。

「その前の週末に自民党が行なった世論調査で、桜井さん(俊・前総務事務次官)がダントツでした。これを受け、都連会長の石原さん(伸晃)が、29日午後に桜井さんに出馬の申し入れをする予定だった。が、小池さんの会見で、桜井さんは“自分が出たら分裂選挙に巻き込まれる。そんな面倒は避けたい”と出馬回避に舵を切ったのです」(同)

 いざ選挙戦が始まれば小沢流だった。

「告示日の翌日に八丈島を訪れたのは、小沢さんが常々言ってきた“選挙は川上から川下へ”の教え通りの動きです。小さな村から大都市へ、選挙区の隅から隅までを歩きなさいという意味。そして、街頭演説では押しなべて、政党の垣根を越えて有権者と直接繋がろうという姿勢がありました。この点は、“自民党をぶっ壊す”と訴えた小泉流の戦い方です」(同)

 小池女史は、1992年の参院選に日本新党から比例区で出馬して当選。翌年の、55年体制を崩壊へ導いた衆院選では、旧兵庫2区に鞍替え出馬し、当選している。

 それから、新進党や自由党で僚友だった西村眞悟元代議士が、

「99年に私が“日本も核武装した方がいい”という発言をして、問題になったことがありました。この後、小池さんと小沢一郎さん、そして私とで食事をしていたときのことですが」

 と当時を振り返って、こう継ぐ。

「彼女が、“小沢さん、西村さんのこと、注意してあげてよ。過激だから、困っちゃうのよ~”なんて言うのです。その言い方や態度に、嫌な感じはまったく受けませんでした。また、財界の方を交えた席で私を指して、“この人は私の用心棒なのよ~”と持ち上げてくれたりもしました。その口ぶりは自然で上手。感心しましたよ。だから、都議会のタヌキみたいなおっさんも、見くびったらえらいことになりますよ」

■異名がヒラメ

 もう少し、身過ぎ世過ぎに役立ったその振舞い方に触れておかねばなるまい。

 彼女が「ワールドビジネスサテライト」(テレビ東京系)のキャスターを務めていた時代だから、90年前後のこと。

「当時の社長が声を掛け他社から連れてきたこともあって、小池さんはかわいがられていました。他のキャスターに比べても特にね。そしてそれを十分理解していたから、社長室へ日参しては、“ゴルフや食事に行きたい!”と“アプローチ”していました」

 と、これは元同僚女性の打ち明け話である。

「社長も喜び、色んな席へ連れて行ったんです。それが彼女の人脈づくりに奏功したのは間違いありません。社長だけでなく、報道局長ら上役には猫なで声で近づくのに、同僚や部下とは目線さえ合わさない。だから評判が悪いのなんの」

 社長とのホットラインを気にする余り直属の上司でさえ腫れものを扱うように彼女と接するので、増長するばかり。で、ついた異名がヒラメ。つまり、上しか見ていないというわけだ。

「“ヒラメがまた、社長との飲み会のことを大声で自慢してたよ”などと、陰で言われていました。彼女はそのことを嬉々として話すものだから……。で、92年に出馬した際には、現場にはまともな挨拶もなく辞めて行った。上層部は“自民党から出馬しないなら勝てない”と忠告したようですが……。あのときも今回も、勝負所の勘の良さだけは認めざるを得ません、悔しいけれど」(同)

 どこかで見たような光景である。

 ともあれ、政界入りのきっかけを作り、いみじくも2014年の都知事選で苦杯を嘗めた細川護煕元首相はこんな見方をする。

「日本新党時代以降、小池さんは経験を積んでこられ、政治的な感覚に優れていると思います。が、都議会の与党が正面から向かってくるという状況でどうするのか。開き直り、捨て身になってやっていくしかないのではないでしょうか」

「特集 女帝誕生! 『小池百合子』都知事が蹴散らす標的1番から5番まで」より

週刊新潮 2016年8月11・18日夏季特大号掲載

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