【リオ五輪】ホンダ独身寮のヌシ「石川末廣」 36歳10カ月で最年長マラソン代表へ

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「コケちゃいました」のセリフで知られる谷口浩美がアトランタ五輪に挑んだのは36歳3カ月の時。それを上回る36歳10カ月でリオ五輪に挑み、マラソンの日本勢史上最年長出場となるのが、石川末廣である。所属チームの独身寮での暮らしもすでに14年間に及び、すっかり「寮のヌシ」だが……。

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男子マラソンが行われるのは8月21日。果たして石川は、上位争いを演じて日本マラソン界の「レジェンド」になれるか(※イメージ)

 おそらく、創業者の本田宗一郎の名前をもじったのであろう。埼玉県狭山市にあるホンダ陸上競技部の独身寮はその名も「走一寮」という。リオ五輪出場が正式に決まった際、石川はこの寮で喜びを爆発させたが、

「代表に決まるまでは、完全にノーマークでしたね」

 と、スポーツ紙記者。

「佐々木悟と北島寿典の2人はタイムも実績も申し分なく、順当に決まった。残り1枠を、びわこ毎日マラソンで日本勢2位に入った石川と、東京マラソンで日本勢トップになった高宮祐樹が争う格好になりましたが、タイムで大幅に上回った石川が選ばれました」

 三重県鈴鹿市出身の石川は稲生高校から東洋大、ホンダへと進んだが、活躍の場は主に駅伝やトラック競技。マラソンに転向したのは4年前、32歳の時だ。

■最後に勝負に出るタイプ

 石川が所属していた当時の稲生高校の陸上部監督、行方保氏が語る。

「私は彼に限らず、高校の選手たちに“マラソンは30歳過ぎてからでもやれるから、焦らんでいいよ”と言ってきたんです。2、3年前、彼に会った時に“日本代表になれるとええなぁ”と私が言うと、“そのつもりです”と本人は言うとりました」

 石川は、我慢強く先頭集団について行って最後に勝負に出るタイプのマラソンランナーだが、

「レースだけではなく、彼の陸上人生もそういう感じになってきていますね。36歳でオリンピックに出られるようになったのは、わき目もふらずに地道な努力を続けてきたことへのご褒美ですよ」(同)

 石川がホンダに入って以来住み続けている「走一寮」は5階建てで、現在、20名ほどの選手が生活している。彼の部屋があるのは2階で、他の選手と同様、10畳ほどの部屋が2部屋、割り当てられているという。

「本人の希望次第で独身寮を出ることは可能なのですが、あそこはトレーニング機器など練習設備が充実している。それに、末廣は2006年から7年間ほど、陸上部の主将を務めましたからね……」

 そう話すのは、石川の兄の石川和典氏(40)だ。

「以前、末廣のことを紹介した記事に、彼の趣味は“掃除”であると書いてあった。主将を務め、後輩のお手本にならないといけない、という気持ちで、寮の部屋を掃除して片づけるようになったのではないでしょうか。陸上部の人は、末廣が“後輩から慕われている”と言っていました」

 後輩たちに範を示すべく、自ら「寮のヌシ」となったようなのだ。そんな彼は、

「口には出さないけれど、ずっとオリンピックを目指していたはず。そうでないとあの年まで現役を続けないでしょう。本人は“年齢について気にしたことはない”と言っています」(同)

 男子マラソンが行われるのは8月21日。果たして石川は、上位争いを演じて日本マラソン界の「レジェンド」になれるか。

「特集 秘されたドラマ! 汗と涙の『日の丸』アスリート」より

週刊新潮 2016年8月4日号掲載

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