【リオ五輪】柔道代表「大野将平」 暴力事件の謹慎90日間を経て成長

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 史上初の金メダル“ゼロ”という大惨敗に終わったロンドン五輪から4年――。お家芸復活の使命を課せられた“男子柔道”にあって、最も表彰台に近いと目されているのが、73キロ級代表の大野将平(24)である。かつて暴力事件が取り沙汰された男は、90日間の謹慎生活を経て、何かが変わったという。

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大野将平ツイッターより

 全日本柔道連盟(全柔連)で監事を務める山口香氏も、彼の活躍に大きな期待をかける。

「同じ階級の海外選手と比べても、大野選手の技術は抜きん出ています。組み方、体の捌(さば)き方、技の入り方のどれを取っても隙がない。彼が金メダルを獲得する確率は80%近いと思います」

 ソウル五輪で銅メダルに輝いた“女・姿三四郎”は、こう太鼓判を押す。

 大野の世界ランキングは現在4位だが、今年2月にドイツで開催された柔道グランプリ大会では、準決勝でランキング1位の韓国の強豪・安昌林(アンチャンリム)から技ありを奪って優勢勝ち。決勝でも2位の選手を破って優勝を果たしている。

 その結果、

「体操の内村航平や、レスリングの吉田沙保里と並んでリオ五輪の金メダル候補に数えられるようになりました」(スポーツ紙記者)

 その一方、悲願まであと一歩に迫った柔道家には、畳の外で“警告”を喰らった苦い過去がある。

 不祥事が発覚したのは2013年9月。大野が世界選手権で初優勝を飾った、翌月のことだ。

「問題となったのは天理大学柔道部で起きた暴力事件でした。4年生の男子部員が複数の1年生に暴行を加え、鼓膜を破るケガを負った者までいた。当時、主将だった大野自身も後輩を平手打ちしていたことが分かり、全柔連は彼に3カ月間の登録停止処分を下し、強化指定選手からも外されたのです」(同)

■“柔道をやめたい”

 謹慎処分を言い渡された大野は一時、山口県の実家に身を寄せている。

 当時の様子を、小学生時代の恩師である「松美柔道スポーツ少年団」の植木清治団長が明かす。

「将平が家族に“柔道をやめたい”と漏らしたとは聞いていました。ただ、謹慎中もうちの道場に足繁く通って、子供たちに稽古をつけてくれた。同じ道場出身の世界チャンピオンですから、20人くらいの子供たちが将平の周りに群がってね。本人は複雑な思いがあったと思いますが、“順番に教えてやるから”と言って、得意技の内股や大外刈りを指導していました」

 実は、大野自身も大学1年の頃に「先輩から暴力を振るわれている」と植木氏に相談したという。皮肉にも、問題が表沙汰になったのは彼が主将の時だったが、

「励ましの意味で後輩を叩いてしまった、と反省していました。一方で、“自分の名前に傷がついても、暴力を防止する改革が進めばいい”とも話していた」

 天理大学柔道部師範の土佐三郎氏はこう言う。

「東日本大震災の被災地でのボランティアも経験しましたし、3カ月の謹慎生活で大野が精神的に成長したのは間違いありません。リオ五輪では、苦悩を乗り越えて柔道に打ち込んできた姿を見てやってほしい」

 日本柔道界、そして、彼自身の汚名を返上する大一番は目前に迫っている。

「特集 秘されたドラマ! 汗と涙の『日の丸』アスリート」より

週刊新潮 2016年8月4日号掲載

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