【リオ五輪】ボクシング代表「成松大介」 凱旋帰国当日の熊本地震を語る

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〈参加することに意義がある〉とは、近代オリンピックの父とされるクーベルタン・元IOC会長の言葉である。確かに、メダル争いはともかく、五輪に出場するだけでも故郷に錦を飾れるほどの栄誉には違いない。だが、ボクシングのライト級代表に選ばれた成松(なりまつ)大介(26)は、喜び勇んで凱旋帰郷した折も折、思わぬカウンターパンチに見舞われてしまったのだ。

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高2までは地元でも無名だった

 今年4月2日、中国の遷安で開かれた、アジア・オセアニア地区五輪予選で3位に入賞し、成松は見事にリオ行きの切符を手にする。

 そして、全日本選手権6連覇中のハードパンチャーは帰国後、この快挙を引っ提げて地元入りすることになった。彼の凱旋が思わぬ展開を迎えたのは、奇しくも、“4月14日”に実家のある“熊本”へと帰省したからに他ならない。

「夕方5時の便で熊本空港に着くと、2時間ほどテレビ局の取材を受けました。熊本市内にある実家に着いたのは午後8時過ぎ。それから先輩が経営する居酒屋に繰り出したんです」

 当日の様子を振り返るのは成松本人である。彼が異変に気付いたのは午後9時半頃だった。

「地面がユラユラと揺れ始めて、それがなかなか収まらない。お店のボトルが次々に倒れ落ちるので、“うわっ、これはヤバい!”と感じて他のお客さんと一緒に外へ飛び出しました。そのうち揺れが引いたので恐る恐る店内に戻って、テレビを点けたところ、熊本市内は“震度6弱”と報じられていた。とんでもないことになったな、と……」

 だが、この地震が“ジャブ”に過ぎないことを当時の彼は知る由もなかった。

 ご承知の通り、14日に発生したのは熊本地震の“前震”。2日後には、さらに強烈なカウンターが地元のヒーローを襲うことになる。

■車中泊

「余震は続いていましたが、さすがにこれ以上、大きな地震はないだろうと考えていました。しかし、16日の深夜に実家の部屋の灯りがいきなりパッと消えたんです。その直後、全身が宙に浮くような激しい震動に襲われ、天井から照明がコードごと降ってきた」

 国内では敵なしの実力派ボクサーも、窓枠にしがみついて立ち上がるのがやっとだった。どうにか揺れが収まったものの、リビングにはありとあらゆる家具が倒れ、足の踏み場もない。

 成松と母親は津波への警戒を呼び掛ける消防車に乗り、他の家族は自家用車で近くの小学校の体育館に避難したという。

「それからの2日間は車中泊でした。高齢の祖父は体育館に寝泊まりしていましたが、余震で倒壊しないか本当に心配だった」

 被災地には最大で2万6000人の自衛隊員が投入されたが、成松の所属はあくまで自衛隊体育学校。他の部隊とは違い、災害派遣の訓練も積んでいなかった。

「知識や経験に乏しい自分は被災地では足手まといになるだけ。それならば自分にできることをすべきと考えました。リオでは金メダルを獲得して、地元に明るい話題を届けたい」

 少年時代からスポーツ万能で、ボクシングを始めたのは地元の高校に進学してから。天才肌の自衛官ボクサーは、被災者と同僚たちが流した汗と涙に報いるため、リオのリングに立つ。

「特集 秘されたドラマ! 汗と涙の『日の丸』アスリート」より

週刊新潮 2016年8月4日号掲載

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