“死刑確定なら元少年でも実名報道”のご都合主義 スジを通したのは「毎日新聞」「東京新聞」のみ

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 6月16日の最高裁の判決により、「石巻3人死傷事件」被告の元少年(24)の死刑が確定された。2010年に宮城県石巻市で起きたこの事件で、被告は元交際相手の女性を拉致しようと実家に押し入り、居合わせた元交際相手の姉と知人を刺殺、姉の知人男性に重傷を負わせる犯行に及んだ。判決を受け、毎日、東京を除いた主要新聞(読売、朝日、産経、日経)や主要テレビ局(NHK、民放キー局)は、これまでの「匿名」から一斉に「実名」扱いへと切り替えている。

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 読売新聞その他の主要新聞は、実名報道に転じた理由について、大意、以下のように紙面で主張している。

①少年法の趣旨は社会復帰を前提とした更生にある。死刑囚にはその機会がないから、実名を報じるべき。

②国家によって生命を奪われる刑の対象者は実名で報じられるべき。

 これについて、上智大学文学部新聞学科の田島泰彦教授は、

「メディアの本来のあり方から言えば、死刑が確定するかしないかといったことは、実名報道とは関係ない。その犯罪が重要で、実名を知らせるべきと思えば、報じれば良いのだと思います。死刑判決があったからとか、更生可能性がなくなったからというだけで画然と実名にするというのは、あまりに機械的な理由で、思考停止と言わざるをえません」

 と評する。

■被害者こそ匿名に…

 さらには、

「犯罪被害者の立場から見れば、今回の実名報道も、少し加害者の立場に偏りすぎていると思います」

 と言うのは、「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」(VSフォーラム)事務局長の高橋正人弁護士である。

「今回、新聞社は、彼の更生可能性を考慮し、それがないからと実名報道に踏み切っています。しかし、一方で被害者にそれだけの配慮をしているでしょうか。2004年、犯罪被害者等基本法が成立した。この3条第1項には、『すべて犯罪被害者等は、個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有する』とあります。それなのに、この事件でも、加害者の名を出す慎重さに比べて、被害者の名前については何も論じられることがなく出されていた。加害少年こそ実名にすべきで、被害者は匿名にして欲しいと思います」

 まして死刑が確定したから実名という理由に至っては、死刑囚が国家の犠牲者であるとのスタンスすら言外に伝わってくる。加害――被害認識の転倒ぶりはここにも感じられるのだ。

■ご都合主義 各紙の見解は…

 そもそも、である。

 少年法61条のどこをひっくり返してみても、〈死刑が確定したら〉などという規定はない。つまり、新聞社は独自の法解釈で実名報道を行っているに過ぎない。

 では、これまで同種の判断を行って、その都度、実名で報じてきた媒体に対し、彼らはどう論じてきたか。

 かつて、作家の高山文彦氏が19歳のシンナー少年が起こした堺市の通り魔殺人を取材し、「新潮45」で実名を報じたところ、少年からプライバシー権侵害で訴えられたことがあった。結果は高山氏側が勝訴したが、この事件の実名報道ひとつとっても、

〈センセーショナリズム〉〈ひとりよがりな法への挑戦〉(1998年2月23日付読売社説)

〈あざとい言い分〉〈法律の規定を勝手に曲げて、更生の芽を摘む権利は誰にもない〉(2月19日付朝日社説)

〈少年法に違反し、容認はできない〉(2月19日付産経主張)

 などと、各紙、法に触れること自体が悪であると言わんばかり。一方では自らも同様のことをしているのだから、「ご都合主義」と言われても仕方あるまい。

 石巻の事件で、主要新聞では、毎日と東京が「元少年には更生に向かう姿勢がある」「再審や恩赦が認められる可能性がある」ことなどを理由に、匿名報道を続けている。何が何でも「少年法」を墨守という姿勢には首肯できないが、少なくとも論理的一貫性があるだけ、まだ骨がある、と言えないこともないのである。

 当の新聞社に改めて見解を伺ってみると、

「紙面に記載した通りです」(読売)

「紙面の通りです」(産経)

「編集方針に関わることについては、お答えしておりません」(日経)

 朝日も「おことわり」と同じ説明を繰り返した。

■面倒回避の発想

 ジャーナリストの徳岡孝夫氏は、毎日の社会部出身だ。

「1958年の小松川高校事件が典型ですが、かつて新聞社は未成年者が容疑者であっても、場合によっては、逮捕時であれ、自らの判断で実名を報じてきました」

 そう振り返るように、例えば、犯行時の少年に対する、平成以降初の死刑判決が出た永山則夫事件(68年)の際、多くの新聞は逮捕時から独自の判断で実名報道を行ってきた。 

 浅沼社会党委員長刺殺事件や中央公論社社長宅襲撃事件では、死刑になる案件ではないのに、実名を用いた社もある。

 しかし、80年代に入ると、こうした流れは消え失せ、少年による犯罪のほぼすべてが匿名扱いに。犯行時の少年に2例目の死刑判決が出た「市川一家4人殺人事件」(92年)は、逮捕時、死刑確定時を通じて匿名。3例目、4例目の「大阪、愛知、岐阜連続リンチ殺人事件」(94年)、「光市母子殺害事件」(99年)、そして今回の「石巻事件」になると、毎日や東京以外の媒体では、横並びで「死刑確定で実名」が一般化するのである。

 先の田島教授がこれを総括して言う。

「少年法にメディアが違反すると、抗議される、裁判で損害賠償の対象になりうる。そういう雰囲気が形作られ、実名では報じない、また報じても死刑確定時という、面倒を回避する発想に向かっているのでしょう」

 名前を消したり出したりの「人権遊戯」を巡って見えてきたのは、新聞社の「思考停止」「ご都合主義」に「事なかれ体質」――。これでは新聞が面白くなくなるのも当然なのである。

「特集 スジを通したのは『毎日新聞』『東京新聞』……死刑確定だと元少年を実名報道する大新聞」より

週刊新潮 2016年6月30日号掲載

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