シャープ株主総会で責められた社長が頼る「ドクター佐々木」とは何者か

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 6月23日に行われたシャープの株主総会で、こんなやりとりがあった。

株主 「今後は高齢者向けの製品をしっかりやって欲しい。可処分所得は若者より多い」

高橋社長 「今年103歳になられるドクター佐々木のお話も聞いて、ロボホンを作りました。高齢者市場は十分意識してまいります」

孫正義の「恩人」、ジョブズの「師」――101歳のいまもかくしゃくとしている佐々木氏

 ドクター佐々木? 何者なのだろうか。

「シャープが元気だったころ、技術トップを務めていた佐々木正さんのことです。液晶まわりの業界では『ドクター』を知らないともぐりとまで言われたひとです」

 そう言うのは『ロケット・ササキ ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正』著者の大西康之さん。ロケットといってもロケットの技術者だったわけではない。あまりに爆発的な発想力をもつドクター佐々木に与えられた称号ともいうべき異名なのだ。

■ロボホン開発を後押ししたシャープ「伝説の技術者」

 ロボット型モバイル電話「RoBoHoN」(ロボホン)は、実にシャープらしい商品だ。ヒト型ロボットとスマートフォンのハイブリッド。つまり、世界を見渡してもどこにもなかった商品である。他社に先駆けて新しい分野に挑戦し、いちはやく商品化する「イノベーティブなシャープ」は健在だ。

■「液晶はもういい、ロボットをおやりなさい」

 ロボホンの開発を後押ししたのが「ロケット・ササキ」こと佐々木正だった。

 佐々木は1960年代から世界的な規模で続いた「電卓戦争」で、LSI電卓(1969年)、カード電卓(1985年)と「世界初」を連発し、完全勝利。倒産の危機に瀕していた早川電機(現在のシャープ)を大手電機メーカーの一角に押し上げた伝説の人物である。液晶では世界で最も著名な技術者で、世界中の一流技術者はもとより、スティーブ・ジョブズやロバート・ノイス(インテル創業者)、立石一真(オムロン創業者)、村田昭(村田製作所創業者)、孫正義など国内外のカリスマ経営者からも頼られた。佐々木は1989年、顧問職を最後にシャープを去っていた。

「高橋興三社長は、2013年6月に就任するとすぐに佐々木さんを訪ねました。事実上の銀行管理会社となってしまったシャープの窮状を包み隠さず語り、アドバイスを求めたのです。当時98歳になっていた佐々木さんが口にしたのは『液晶はもういい。次はロボットをおやりなさい』というものでした」

 大西さんによると、佐々木はこう続けたという。

「自然言語を理解するロボットを東京オリンピックまでに作るんだ。世界中から集まる人々をシャープのロボットがもてなす。素晴らしい光景じゃないか」

RoBoHoN公式サイトより

■「ロケット・ササキ」の技術が詰まったロボホン

 高橋が佐々木の下をたずねてから1年半、シャープはいよいよ外部からの資本注入を受けるしかないところまで追い込まれた。その頃、ひとりのシャープ社員が上司に伴われて佐々木を訪ねた。技術者の景井美帆である。「これ、まだ試作なんですけど」と言いながら、彼女がバッグから取り出したのは愛らしい顔の小さなヒト型ロボット――ロボホンだった。

「ロボホンの中に入っているLSIも、背中の液晶も、電子翻訳ソフトも、すべて佐々木さんが先鞭をつけた技術です。小さなロボホンの中には、佐々木さんの80年に及ぶ技術者人生がぎゅっと詰まっている」(大西さん)

 佐々木は景井の説明にいちいち頷きながら、ロボホンを撫で続けた。機能を懸命に説明しながら、景井は正直に打ち明けた。

「まだ商品化できるかどうかは、わからないんです。会社がこんな状態ですから」

 それから1年半。シャープが苦境で大事に守り続けたイノベーションの芽は、いかにもシャープらしい「世界初の商品」として、大きな注目を浴びることとなった。

デイリー新潮編集部

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