保釈された清原の友人関係…大魔神との仲は“サシでの食事は1年半前が初めて“レベルだった

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 清原和博(48)に執行猶予判決が下ったのは5月末日。東京の空には分厚い雲が一日中、へばりつくように広がっていた。

 公判を傍聴した記者は言う。

「この日の清原は、白シャツに青ネクタイ、紺のスーツ姿。判決を聞いた後、傍聴席を振り返り、“申し訳ありませんでした”と深々と一礼したのが印象的で、その後は記者から見えないよう、カーテンで窓を覆った支援者の車に乗り、東京地裁を去っていきました」

 友には2種類あるという譬えが、「晴天の友」と「雨天の友」。言うまでもなく、苦難の際に身の回りにいる後者こそ、本当の友だということを示しているのだが、この日、地裁から遠ざかる車の中で曇天を見上げながら、かつてのスーパースターは、どんな「友」のことを思い浮かべただろうか。

■公判でついていた嘘

 まずは、

「清原は公判ですら、嘘をついていましたよ」

 と塀の中から憤る元「友」は、「シャブ仲間」であった、会社社長の田辺大作氏(仮名)である。

 田辺氏はかつて競馬の予想会社などを経営していた実業家。1997年に清原と知り合い、その後、空白期間を経て、昨年2月、自身が覚醒剤使用で逮捕されるまで付き合いを続けてきた人物だ。

 清原の覚醒剤の購入元であった小林和之被告も、この田辺氏の紹介によるものである。

 清原は、供述調書や証人尋問で、「覚醒剤を始めたのは現役引退(2008年)後」と述べている。

 しかし、田辺氏は続ける。

「私と出会った頃、清原は巨人に移籍していましたが、既にMDMAやコカインなどの違法薬物に手を染めていました。01年頃には、一緒にシャブをキメる関係になっていましたから、“現役引退後”というのはありえない話です。この頃、清原は、もっぱらセックスのためにシャブを使っていました」

 ホテルで事に及んだ後、清原は前後不覚になり、ブツが残ったまま部屋を後にしてしまう。残った田辺氏は3時間も部屋を掃除することがあった――と証言するのだ。

「当時、私や清原と一緒にシャブをキメていた仲間に、水商売の女性がいました。彼女によれば、清原とは西武時代から一緒に覚醒剤をやっていた、と。清原も当時、そのことを認めていました」(同)

 これが正しければ、清原が西武から巨人へ移籍したのは1997年だから、薬物の使用歴は公判でのそれと、少なくとも10年以上の開きがあることになる。

「こういう嘘をついていて、初公判で流した涙は本物だったと言えるのでしょうか」(同)

 と言うのも、もっともなのだ。

■“良い子ぶっている”桑田

 が、とにもかくにも、判決はくだされた。

 これにて、清原は本格的に社会復帰の道を歩んでいくことになるワケだ。

 そんな区切りの裁判の最中、彼の脳裏をよぎったのはもちろんスターの称号を「犯罪者」へと貶(おとし)めてしまった「自責の念」。

 そして、同時に心をかすめたのは、自分の周囲から人が次々と去ってしまった「寂寥感」に違いあるまい。

大魔神・佐々木主浩元投手

 例えば初公判の際、清原側の証人として法廷に立った佐々木主浩元投手にしても、

「確かに『大魔神』と清原さんが親しかったのは事実ですが――」

 と述べるのは、清原のさる知人である。

「それにしても、サシで食事をしたのは六本木の寿司屋のカウンターで1年半前が初めてというレベル。当時既に報じられていた薬物疑惑の話になり、清原が否定するのを聞いた大魔神はわざわざ知り合いの警察関係者に電話をして、本人の目の前で“キヨは絶対やってないと言っています”と話しています」

 当の佐々木氏のマネジメント会社は電話の事実を否定したが、その後に開かれた佐々木氏の野球殿堂入りパーティーに清原は、「シャブをキメまくった状態で出た」(田辺氏)というから言葉を失う。

 とまれ、かように「親友」と言うにはいささか心もとない佐々木氏に“大役”を託さざるを得ないほど、清原の周囲に人がいなかったのは事実なのだ。

 経歴から見れば、PL学園、巨人でともにキャリアを重ね、投打の主役「KKコンビ」を演じてきた桑田真澄元投手の方が法廷に立つには適任と言える。

 ところが、

「2人の関係がかりそめのものであるのは広く知られた話です」

 と、さるスポーツジャーナリスト。

「清原はとにかく桑田を毛嫌いしていた。桑田は今は一見、頭脳派で“優等生”的なイメージがありますけど、元は“登板日漏洩(ろうえい)疑惑”や、多額の借金問題など、スキャンダルを数多く抱えていた選手です。清原は、“桑田は良い子ぶっているだけなのに、なぜアイツだけ受け入れられるんや”と憤りを隠していませんでした」

 これだけなら、まだ清原の“僻み根性”ゆえと言えるのかもしれないが、怒りは別の点にもあったという。

「高校時代、桑田が内定していた早大進学を蹴って、巨人へ入ったことで、PLの後輩がその後、早稲田への道を閉ざされた。しかも引退後、桑田は早大の大学院に進学したんです。清原は愛する母校への裏切りと捉えていた」(同)

 今回の逮捕後も、「小言を言ったら“一切関わらないでくれ”と言われた」と、まるで学級委員のようなコメントをした桑田氏。清原が証人に選ばなかった理由も頷けるのだ。

「特集 清原和博の復讐」より

週刊新潮 2016年6月9日号掲載

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