人類が初めて遭遇する「寝たきり100歳社会」の悪夢 前編〈医学の勝利が国家を亡ぼす 第4回〉

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 99歳は白寿、100歳を超えると仙寿だそうだ。稀であればこその祝い名だが、それが当たり前になるとどうか。むろん、健康に100歳を迎えられればめでたい。だが、現実には不健康寿命が延び、命を維持するコストで国が破綻する事態になりかねないという。

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「人生100年生きていくことが当たり前になる未来に、もはや戦後のやり方は通用しない」

 小泉進次郎代議士らは4月13日、「2020年以降の経済財政構想小委員会」でこう提言し、高齢者にかたよる社会保障を見直す必要性を訴えた。

 この発言がはらむ、われわれに否応なく突きつけられる問題については、追って仔細に検証したい。しかし、そもそも、「人生100年生きていくことが当たり前になる未来」は本当に訪れるのか、それははたして幸福な未来なのか。

 厚生労働省の調査によれば、100歳以上の高齢者の数は、2015年9月の時点で6万1568人。50年前の1965年には198人にすぎなかったが、98年に1万人、2007年に3万人、12年に5万人を突破し、昨年6万人を超えた。そして将来は、国際長寿センターの推計では、20年に12万8000人、30年に27万3000人、40年に42万人、そして50年には68万3000人と、倍々ゲームの勢いで増えていくと見られているのだ。文字通り、100歳が「当たり前になる未来」である。

 そう聞けば、自分もあわよくばと期待するムキも多いだろう。メディアも「文藝春秋」6月号が「百歳まで生きる」という特集を組んだのをはじめ、「100歳社会」を無条件に礼賛している。むろん、健康体で齢100を迎えることができるなら、幸福と言って差しつかえなかろうが、実態を知れば、いったいどれだけの人が、100歳まで生きたいと願うだろうか。

 日本人の平均寿命は2014年の値で男性が80・5歳、女性が86・83歳。周知のとおり、女性は世界一の長寿である。しかも、

「団塊の世代が65歳以上の前期高齢者に突入しましたが、彼らは健康度が非常に高いので、平均寿命はあと10年くらいは延びると思われます」

 と、桜美林大学老年学総合研究所の鈴木隆雄所長は語る。平均寿命自体がかぎりなく100歳に近づくわけだが、鈴木所長は「しかし」と言って続けるのだ。

「日本人の長い平均寿命の最後の2、3年は、寝たきりを含む虚弱な方が延ばしているにすぎません。寝たきりにならなくても、病気を患いながら生きながらえる期間を不健康寿命と言い、それが女性で13年、男性で9・7年もあるのです」

 そのうえ、不健康寿命は今後も、着実に延びそうな見通しだという。

「一番問題なのは、団塊の世代というマス集団が、75歳以上の後期高齢者に移ったときです。75歳を超えると、心身の健康度が下がって、いろんな病気のリスクが高まり、とりわけ認知症のリスクは非常に高くなります。今はまだ前期高齢者と後期高齢者はともに約1700万人で、1対1の割合ですが、2025年にはそれがほぼ1対2に、つまり後期高齢者が前期の2倍になるのです」(同)

 では後期高齢者の不健康寿命は、どうやって延ばされているのか。その象徴が胃瘻(いろう)である。それは自分で食事ができなくなった患者の腹部に小さな入口を設け、カテーテルから栄養を流すもので、2011年時点で、胃瘻を設けている存命の患者は約26万人。その9割が65歳以上だという。

 鈴木所長の話を続ける。

「80歳、90歳をすぎて認知症の症状が進むと、家族の顔もまったくわからなくなり、ついには食べ物を食べ物と認識することさえできず、自分では食べられなくなります。しかし今の医療では、そこで死んでくださいと言うわけにはいかず、家族の要望もあって胃瘻をつくります。結果、寝たきりで床ずれができ、ひどい場合は骨が露出し、とても痛々しい姿で亡くなっていく方も少なくありません」

 ちなみに、欧米にはこうした寝たきりの高齢者はいないのだという。

「欧米で胃瘻をつくるのは、回復する見込みがある患者だけです。たとえば胃がんの手術後、一時的に食べられなくなって胃瘻をつくることはありますが、治ってきたら必ず抜く。あくまでも救急措置なのです」

 と、鈴木所長。国際医療福祉大学大学院の高橋泰(たい)教授も言う。

「高齢者への胃瘻は年上を敬う文化がある儒教国に多く、欧米では食べられなくなると寿命だという考え方です。世界最先端の高齢者ケア・マニュアルを翻訳した際、そこにオムツや介護という言葉はありませんでした。その後、アメリカに留学したとき、リハビリテーション病院の先生と話し、“欧米の先進的な介護施設ではやっていないのだから、あえて書く必要もない”とわかったのです」

臨床医の里見清一氏

■どの国も経験がない事態

 こうして寝たきりで、何も認識できないまま100歳まで生きながらえることを望む人が、はたしてどれだけいるだろうか。しかも、不健康寿命を延ばすためには、膨大なコストが生じるのである。

 臨床医の里見清一氏が指摘する。

「コストをかけて胃瘻をつくり延命することが、患者本人にとっても社会にとっても、どういう意義があるのでしょう。“ただ生きてくれるだけでいい”という家族の希望のみで胃瘻をつくるのなら、生かされる高齢者の存在意義は、ペットのそれと大差ないのではないか。こうして生きていたくない老人までが生かされてしまう今、経済的な危機もそこまで迫っています。病気になりやすい高齢者が多くなれば医療費がかさむのは当然で、医学の進歩、高齢者の増加、医療費の膨張という流れは、意図的に何かをしないかぎり、絶対に避けられません。しかし、高齢者の命をただ延ばすためにお金を使い、そのツケを次世代に回し続けていいのでしょうか」

 この連載では、次世代へのツケを考える題材として、年間3500万円かかるがん治療薬「ニボルマブ(商品名はオプジーボ)」を取り上げてきた。あらためて里見氏は、この薬について、

「よく効くが、高い、だれに効くかわからない、使い続けなければならない、患者数は多い、と医療経済的には最悪の条件がそろっています。これはニボルマブが素晴らしい薬であることと、まったく矛盾しません。日本の医療を考えるうえで象徴といえる薬なのです」

 と語る。実際、それは象徴であり、胃瘻もコストの点でニボルマブに負けていない。鈴木所長が継ぐ。

「胃瘻をつくって充分なケアと感染症管理を怠らなければ、少なくとも2年くらいは延命できますが、その分の医療費は、介護保険や医療保険から支出されます。胃瘻をつくると寝たきりになりますから、要介護5に認定され、月々約35万円が介護保険から出る。それだけでも年間400万~500万円ですが、血圧が高い人には降圧剤も使う。また高齢になると腎機能が落ち、行きつく先は人工透析で、その費用は月額40万~50万円といわれています。マスで考えると非常に巨額な費用になります」

 延命のために胃瘻をつくった患者が20万人いるとして、1人に年間1000万円かかるとすれば2兆円である。むろん、かつてのように現役世代が多ければ支えることはできるが、前出の高橋教授が言う。

「日本の人口に占める65歳以上の人の割合を示す高齢化率は、1980年には9%ほどで、先進国のなかでも若い国でした。それが現在27%。さらに今後は毎年、65歳以下の若年層が100万人減る一方、75歳以上の後期高齢者が50万人ずつ増え、2030年には高齢化率が32%になる見通しです。それは世界中のどの国も経験したことがない事態です。また、1960年には高齢者1人を9人の現役世代が支えていましたが、2012年には2・4人で支えることになった。25年には1・8人、60年には1・2人で支えることになります」

 だが、現実には支えられないことは、火を見るよりも明らかである。

■初七日でも火葬できない

 また高橋教授は、今後の後期高齢者の増え方に、ある特徴があると話す。

「2010年から30年間で、75歳以上の後期高齢者は800万人前後増え、1・5倍に膨れ上がります。ただし、全国一律に増加するのではなく、増加分の50%は国土の7%を占めるにすぎない首都圏、関西圏、中京圏に集中します。かつて集団就職で三大都市圏に流入した人たちが、一斉に後期高齢者になるからです」

 すると、どんな問題が生じるだろうか。

「一人一人の利用状況が変わらなければ、医療、介護の限界がくる。まず病院や介護施設のベッド不足が深刻化します。今でも東京での不足分を埼玉や神奈川で補っていますが、東京近郊で後期高齢者が爆発的に増え、全面的に介護が必要な独居高齢者でさえ、受け入れ先がない状態が慢性化します。中京圏なども同様で、千葉や埼玉など人口当たりの医師数が少ない地域では、救急車を呼んでも搬送できなくなる。葬儀場の渋滞が起きて、初七日を迎えても火葬できなくなるでしょう。また介護施設ができてもスタッフが集まらない。実際、経産省は、2035年には介護施設で働く職員が68万人不足するという推計をまとめています」(同)

 今、救急搬送ができなくなるという指摘があったが、実は、すでに救命救急センターは高齢者であふれ返っているという。東京都立墨東病院の救命救急センター部長、濱邊祐一氏は、

「このままでは救命救急医療が疲弊し、システムが崩壊してしまう」

 と真顔で心配し、その理由をこう述べる。

「墨東病院の例で言うと、1992年には搬送された患者数は約700人で、ピークは交通事故など外傷で運ばれる20代と、成人病に端を発する疾病が中心の50代。救命救急センターとしては理想的な形でしたが、2012年には患者数が2200人超に増え、ピークは70代になりました。しかも65歳以上の割合が激増しているのが現状です」

 また、搬送される高齢者の実状が、近未来の「100歳社会」を象徴しているようで生々しい。

「寝たきりの人が心肺停止で運ばれ、必死に応急処置をしてよくなっても寝たきりに変わりはない。何百万円も医療費をかけ、自宅から病院に移すだけです。寝たきりでなくても、高齢者に心臓マッサージをすると肋骨がバキバキに折れます。若い人なら2、3週間でくっつきますが、高齢者はそうはいきません。折れた肋骨が肋間神経にさわって、呼吸をするたびに“痛い、痛い”と言う。うまく呼吸ができない人には人工呼吸器をつけます。機械依存、医療依存で全身チューブだらけにならざるをえませんが、患者の家族からは“そんなことは頼んでいない”と言われる。そうしたことが頻繁にあります」

 また、こうした実態はコストのみならず、若い世代へのツケになるという。

「救命救急センターには生かすノウハウがあり、運ばれた高齢者を延命させられる。結果、高齢者のベッド占有率が高まり、生産年齢の急患を断ることになってしまいます。また、主に高齢者からの119番の増加で出動件数が増えたことで、救急隊が収容先を見つけられず、立ち往生することもある。高齢者には2、3分の差は問題でなくても、現役世代の場合、わずかな時間で救える命が救えなくなることもあるのです」(同)

■救急車をタクシー代わりに

 そもそも救急医療は、突発、不測、かつ重症、重篤の患者に適用するはずのものだが、それがなぜ高齢者に占有されているのか。

「終末が迫っているという意味では、高齢者の病気は突発でも不測でもありませんが、それでも救命救急センターに運ばれるのは、重症、重篤だからです。と言うのも、東京消防庁の救急隊員が患者の重篤度を測るための手引には、年齢とADL(日常生活活動度)の項目がない。だから20代でも90代でも、心肺停止なら救命救急センターに運ばれるのです」(同)

 その結果、生を継続するための救急医療の場が、巨費を投じて看取る場になってしまっていると、濱邊氏は嘆息する。

「それに救急車も救急ヘリもタダではありません。しかし、どれだけコストがかかるのか、日本人は知らないのです。墨東病院にくる患者にも、救急車をタクシー代わりに使う高齢者がいます。また、江戸川区の河川敷付近に餅をのどに詰まらせた老人がいたら、救急ヘリを飛ばすんです」

 ちなみに、救急車が一度出動するためには、平均して5万円前後、救急ヘリの場合は70万円前後かかるというデータがある。タクシー代わりに使うとしたら、あまりに高額である。

「日本では、命とお金の話を一緒にするのはタブーとされてきましたが、生命を維持するにはコストがかかることを、ぜひ知ってもらわなければなりません」

 と濱邊氏は主張する。里見氏が繰り返すように、

「このままでは間違いなく国がもたない」

 からである。そして濱邊氏は、ある人の発言を「的を射ている」と引いた。

「患者を“チューブ人間”と表現し、“私は遺書を書いて、『そういうことはしてもらう必要はない。さっさと死ぬんだから』と渡してある”と発言。続けて“死にたいときに死なせてもらわないと困る。しかも(医療費負担を)政府のお金でやってもらうのは、ますます寝覚めが悪い”などと話したんです。でも、この人は批判を浴びて、発言を取り下げてしまった」

 2013年1月、社会保障制度改革国民会議における麻生太郎副総理の発言だ。いずれにせよ、100歳社会を前に議論すべき重要なテーマがそこに含まれているのは間違いない。

「75歳をすぎると人間は死に向かって、がんも認知症も脳卒中も増える。それに対して高額な医療を施すべきか、という議論が必要です。人生終末期の不可避な死に対してまで命を救うべきなのか。食べることができなくなったら、西洋のように神に召されるときだととらえるのか」(鈴木所長)

 つまるところ、「100歳社会」を乗り越えることができるかどうかは、われわれがどういう死生観を醸成できるかにかかっている。

「【短期集中連載】医学の勝利が国家を亡ぼす 第4回 人類が初めて遭遇する『寝たきり100歳社会』の悪夢 前編」より

週刊新潮 2016年6月2日号掲載

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