「夢の薬」をみんなで使えば国が持たない――対談 里見清一VS.曽野綾子〈医学の勝利が国家を亡ぼす 第1回〉

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死ねないという不幸

里見 この年間3500万円のオプジーボは、高額療養費制度を使うと、どんなに高収入の人でも、95%以上を公費で補填してもらえます。だから、医者もあまり気にせずに処方できる。

曽野 でも、ある程度は払う習慣を末端にまでつけさせないと。救急車にしても、タダの人もあるべきですが、払える人は払うべきです。

里見 同僚の医者が学会で行ったアメリカで胆石になって、救急車を呼ぶと「いくらだ」と言われ、病院に運ばれたら「CT撮るか? 撮ったらいくらだ」と、いちいち聞かれたそうです。

曽野 だから、日本は本当にいいシステムなんですけど、それに乗っかって、ずっと倍々ゲーム以上のコストをかけていると、つぶれるでしょうね。

里見 20年少し前、私の祖母が80歳を過ぎて死んだのですが、腎不全というので、勤めていた病院の腎臓のドクターに聞いてみたんです。そうしたら「80歳過ぎて血液透析入れてもいいことないぞ」と。私はそれだけで納得してしまいました。でも、今はどこでも、90歳を過ぎて透析なんてザラ。本人は嫌がっていても、押さえつけてやっている。

曽野 私、知っています。透析は、やめると7日目くらいに確実に死にますね。

里見 それがわかっているからやめられない。

曽野 この間、夫が食べないので、「食べなかったら死んでしまいますよ、自分で考えてください」と言ってほっておいたら、3、4日後に食べだしました。また、お風呂に入るのも嫌がるんですが、川崎の老人ホームで、入浴を拒んだ入居者を突き落とした若い男がいました。ですからうちでも言ったんです。「4階から突き落とされてもいいのなら、お風呂に入らなくてもいいわよ」って。うちは4階まではないんですけど、こうして90歳を脅していると、自分で選ぶんです。私は、人間は死ぬものだという教育を幼稚園から受けていますから、いつまでも生きたいという感覚がわかりません。政府の教育審議会の委員を務めたときも毎回、「義務教育から死の教育をすべきだ」と言いましたが、通ったためしがない。

里見 今は80歳でも90歳でも、本人が生きたいと言えば、「もう90歳なんだから諦めよう」と言ってはいけないことになっています。「寿命120歳時代」を主張する人もいます。90歳の人が120歳まで生きたとして、その30年間、何をするんですかね。

曽野 そうですねえ。私は個人の美学があるべきだと思うし、自由に選べるようにしてほしい。夫のところに2週間に一度くらい訪ねてくれるドクターが、「どんな夜中でも僕が来ますから、救急車は絶対に呼ばないでください」って。救急車を呼ぶと何が何でも生かす方向になるらしいですね。

里見 救急隊はそれが使命ですからね。100歳のおばあちゃんが刺身をのどにつまらせ、慌てて救急車を呼んで、心臓マッサージをして病院に運んだという例がありました。助かったのですが、心臓マッサージをすると肋骨がバキバキ折れますから、もう自分では息をするのも大変。良くなる見込みがないわけですが、死ねないんです。

曽野 死ねないのは現世で最高の不幸です。人間の救いは死ねるってことで、永遠に死ねないという刑罰があったら最高刑ですよね。

里見 今、救命医療も老人ばかりです。私が救命センターで研修した30年近く前は、若い人の交通事故とか、子供が溺れたとか、そんなのが主体でしたが、今は年寄りが中心ですね。このままでは、子供が溺れても「今、いっぱいだから」と断られかねません。

曽野 やっぱり、若い人から助ける、というルールを作らなきゃいけない。トリアージの一種ですね。

里見 それは災害時に助かりそうな人から助けることですね。20歳の人と70歳の人のどちらを優先するかという選別は、今のところできない。私は、命の価値は若い人のほうが上になると思うんですが、今の日本では全部平等に3500万円かけるわけです。

曽野 平等だったら、年齢が若い方からですよね。

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