ソニーの金融部門の新社長は、97年に破綻した山一證券のエリート

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 生保、損保、そして銀行を傘下に置くソニーの金融部門「ソニーフィナンシャルホールディングス」(ソニーFH)は3月28日、石井茂副社長(61)の社長昇格を発表した。一見、順当な人事とも思えるが、石井氏が頂点を極めるまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。

 1997年11月、大蔵省正門前には新聞やテレビ局の記者たちが、大挙して詰めかけていた。彼らの関心は、破綻寸前だった山一證券が、廃業届を提出するか否か。怒号が飛び交うなか、“山一證券経営企画室部長”を名乗る男性が、記者たちの前で廃業届の提出を否定してみせたのだった。

「その部長が、石井さんだったのです。結局、彼はその足で大蔵省に廃業届を提出したのですがね」

 苦笑しながらこう当時を振り返るのは、ベテラン金融ジャーナリストだ。

「山一證券の経営不安説が囁かれ始めた頃から、ライバル社が石井さんをヘッドハンティングしようと試みていました。ですが、彼は転職の誘いを蹴って会社に残り、部下たちの再就職先の面倒をみたのです」

 東大経済学部卒の石井氏は、証券調査部を経て、会長秘書などを歴任。ライバル社幹部の評価は、

「石井さんは、山一證券のトップになるはずだった逸材。会長秘書時代には、“山一のドン”と呼ばれた行平次雄会長に可愛がられていたし、同じ東大閥の三木淳夫社長とも関係が良かった。証券業務の知識が豊富なのはもちろん、MOF担と呼ばれる大蔵省との折衝役も務めていたので、官僚人脈も豊富でした」

 山一證券破綻の翌年、石井氏はソニーに入社。そして2001年設立のネット銀行であるソニー銀行の初代社長に就任した。

「ソニーFHは、2年前の決算で経常利益900億円の過去最高を記録しました。証券や銀行のみならず、保険業にも精通している彼がトップに立つことで、さらに業容拡大を目指すのは間違いないでしょう」(同)

 目下、ソニーFHが取り組むべきはマイナス金利への対応。19年前に地獄を見た新社長は、この難問にいかに立ち向かうのか。

週刊新潮 2016年4月14日号掲載

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