ディートリッヒも歌った 帝国ホテル「ディナーショー50年史」

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庶民の憧れだった

 産声を上げてから今年で半世紀。今や高級ホテルの代名詞となったディナーショーが始まったのは、1966年3月のことである。

 考案したのは東京にある帝国ホテルで、お値段は1人4000円(現在の価値で約3万6000円)。栄えある初日の舞台に立ったのは、江利チエミ、美空ひばりと共に“三人娘”と呼ばれた歌手の雪村いづみだった。

 今も全国を飛び回る雪村さんご本人が振り返る。

「当時は支度部屋で舞妓さんの衣装に急いで着替えたり、無我夢中で歌ったことを憶えています。日本で初めてのディナーショーの主演を務められたことは、今でも誇りに思っていますよ。戦後に流行した歌手の“ワンマンショー”も私が初めてで、いつも時代に助けられ、世間の波に乗れた幸運を噛みしめています」

 時代は東京五輪が開催されてから2年後。進駐軍キャンプで頭角を現し、全米公演を成功させた歌声を持つ彼女を抜擢したホテルは、ある岐路に立っていた。

『ホテル博物誌』の著書もあるホテルジャーナリストの富田昭次氏が言う。

「オリンピックも終わり、世の景気がやや落ち込んでいた。老舗ホテルも新たな手を打たないと将来はない、という危機感があったのではないでしょうか」

マレーネ・ディートリッヒ

 約300人が収容できる「シアターレストラン インペリアル」では、越路吹雪やフランキー堺などのスターがスポットライトを浴びたが、制作費が嵩んで73年に幕を閉じる。海外の団体客を意識した舞台から、日本人向けのショーへと息を吹き返したのは74年12月。72歳になった名女優・マレーネ・ディートリッヒの来日だ。歓迎委員に福田赳夫が名を連ねるディナーショーは、シャンパン付きで10万円! 今の価値に直して20万円もした。クリスマスに5万だ6万だと話題をふりまく、ユーミンや松田聖子も到底かなわない。

「文化的な取り組みで固定客を得る仕組みは全国に広まりました。今では歌声喫茶や80年代ディスコを再現する参加型の催しが好評を博すなど、音楽を取り込み発展してきた歴史がホテルにはあるのです」(同)

 次の50年、どんな歌声が響くのだろうか。

週刊新潮 2016年3月31日号掲載

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