【新・国立競技場】“一番悪いのは馳浩”? 本人は「灯台下暗しというか聖火台下暗しというか……」

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 昨年7月、ザハ・ハディド女史が監修した新国立競技場計画が、費用の高騰により白紙撤回。次いで、エンブレムの剽窃疑惑が世界的な騒動に発展したのは周知の通りである。2020年に開催の東京大会にまつわるドタバタがたび重なり、驚きを飛び越して嘆きの「嗚呼」をこぼしてきた方も少なくなかろう。

 それから「新国立」に関しては、昨年12月、建築家・隈研吾氏や大成建設らの案が採用され、目下、具体的な設計を詰めている段階だ。

 しかしながらここへ来て、「聖火台の不在」という悲劇が露見したのは、3月に入ってからのことである。

 各メディアは、

〈聖火台、置き場なし。まさかの検討漏れ〉

 などと見出しを付け、大要こう伝えたのだった。

〈現計画では、聖火台を置く空間は想定されていない。木材を使用した屋根が観客席を覆っており、競技場内に設置すれば消防法上の問題が生じる。国際オリンピック委員会(IOC)では聖火台を「大会の最重要シンボル」と定義。設置条件に「開閉会式の際は競技場内の誰からも見える」、「開催中は競技場外からも見える」のを条件としている〉

■旧計画では“場外設置”

 ここで、「隈案決定」の流れをおさらいしておこう。新国立の発注者かつ事業主体である日本スポーツ振興センター(JSC)が、専門家7名による審査委員会(村上周三委員長)に候補を諮ったのが、昨年12月19日。そこで推薦を受けた隈案が承認されたのが22日、遠藤利明五輪担当相(66)を議長とする「関係閣僚会議」においてである。

 遠藤氏ご当人は聖火台について、

「具体的な議論をしてこなかった」

 と釈明に追われるばかり。担当記者が後を受け、

「遠藤さんはすぐに検討チームを立ち上げると言いました。が、聖火台を競技場の内外どちらに置くのかを決めるだけ。実はザハの旧計画では、フィールド中央で火をつけ、それを場外に設置した聖火台に持って行くことになっていた。もっともこの『場外設置』は、10年のバンクーバーと4年後のソチという冬季五輪のみで、夏季五輪では過去に例がありません」

■馳文科相の弁

 ――1964年の東京五輪。ギリシャで採火された聖火は一路東へ。沖縄上陸後に全都道府県をリレーし、東京へたどり着く。開会式を見た三島由紀夫は、

〈今日の開会式の頂点は、やはり聖火の入場と点火だったといえるであろう〉

 としたうえで、聖火ランナーの坂井義則さんをこんな風に評している。

〈彼の肢体には、権力のほてい腹や、金権のはげ頭が、どんなに逆立ちしても及ばぬところの、みずみずしい若さによる日本支配の威が見られた〉(毎日新聞)

 ことほど左様に崇高なる聖火台。これを「存在しない」と論(あげつら)うのが、他ならぬ森喜朗元首相(78)である。組織委員会の会長を務める森氏は、JSCと、その監督官庁であり、五輪を所管する文科省を、

〈JSCという少し頭のおかしな連中が、聖火台を忘れて設計図を作った。一番悪いのは馳浩です〉

 と遠慮も慎みもなく罵る始末。馳文科相に質(ただ)すと、

「JSCがザハ案のときのまま、場内に聖火台を設置しなくてよいのだと思い込み、計画を進めてしまったところに問題があった。そしてその責任は俺にある。もちろんIOCの『聖火は皆の見えるところに』という規定もわかっていました。オリンピックに出場経験がありますから。なのになぜこうなってしまったのか。灯台下暗しというか聖火台下暗しというか……」

「特集 今さら聖火台がない『新・国立競技場』大悪小悪の実名リスト」より

週刊新潮 2016年3月17日号掲載

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