引退試合「背番号0」の理不尽に怒った「山本昌」
32年――それは、長寿番組としてギネスに認定された『笑っていいとも!』の放送期間に比肩する。昨秋、50歳57日の史上最年長出場記録を更新して現役を退いた山本昌は、1983年の入団以来32年間、中日ドラゴンズのユニホームに袖を通し、一貫して背番号「34」を背負い続けた。
「“もっと若い背番号に変えたら”と球団から打診されたこともありましたが、断り続けた。昌にとって“34”はかように愛着のある番号なんです」
とスポーツ紙デスク。
「球界のレジェンドですから、永久欠番でもおかしくない。少なくとも、その番号を背負うにふさわしい選手が育つか入団するまで数年間空き番にしますよ。普通の球団ならね」
だが、中日はそうはしなかった。昌の温もりが冷めない間に早々とドラフト4位の新人にあてがったのだ。
「背番号は落合GMの専権事項ですが、落合さんは昌を嫌ってましたからね。逆に、同じく昨秋退団し、落合さんが可愛がっていた川上憲伸(40)の背番号11は、甲子園優勝投手のドラ1左腕・小笠原慎之介に引き継がれました」(同)
昌は左投げで、憲伸は右投げだというのに、である。
「各社番記者が集った慰労会で、昌は“なんでドラ4なんだよ”と怒り心頭。“ハマちゃんならいいけど”と、半時間以上タラタラ愚痴っていたそうです」(同)
ハマちゃんとは、次代のエースと期待される12年ドラ2左腕・濱田達郎(21)のこと。昌自身はドラフト5位なのだが……。
とまれ、そんな昌の引退試合が5日のオープン戦で実現した。本来はシーズン終了直前の消化試合で行うものだが、それはさておき、球団と1日限定の契約を交わした昌、問題は背番号である。“34”で登録できないため、“0”で日本野球連盟に支配下登録された。もっとも、
「連盟と各球団の了解を得て、“34”を付けることができました」(球団広報)
兎にも角にもお疲れさま。
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