中身よりも見た目を重視 民維合流前に炭水化物ダイエットに挑んだ岡田代表

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 容器はできるだけそのままに、中に入る人ばかり増やそうという試み。それが去る2月26日、民主党・岡田克也(62)、維新の党・松野頼久(55)の両代表が発表した「民維合流」の要諦である。もっとも、「自公に対抗する勢力の結集を」という美名とは裏腹の、両党幹部らが背筋を伸ばして巡らせた思惑や、ここに至るさや当ての逐一を振り返っておきたい。

民主党・岡田克也(62)、維新の党・松野頼久(55)の両代表

「岡田代表が既存の民主の看板では戦えないと考えるようになったのは、昨年10月の宮城県議選での惨敗がきっかけです」

 と解説するのは、政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏である。

「共産党が4から8へと議席を倍増させたのに、民主は7から5へと減らしてしまった。これに代表は大変なショックを受けたのです」

 それからというもの民維は接近し、昨年12月7日、統一会派結成の合意に至ったのだ。

 鈴木氏が続けて、

「年明け後に実施された自民党の世論調査の結果が、民主に極めて厳しい数字でした。なにしろ、今夏に行なわれる参院選の全国比例代表で獲得できそうな議席数が、『改選15に対して7』という惨憺たるものだったのです。それに加えて『4月解散』や『夏の衆参ダブル選』といった憶測が流れたことも、岡田代表を『民維合流』へ走らせたと考えられます」

 さらに、安保法制に関して野党共闘を目指す共産党からの“刺激”も見逃せない要素だったようで、

「彼らはますます現実路線を歩みつつあるうえ、参院選の1人区では独自候補の擁立をほぼ見送るという決断を下した。岡田代表は事あるごとに、“志位さん(和夫共産党委員長)は信頼できるひとだ”と周囲に言っている。その志位委員長が目指す野党連合のためにも、民維合流は欠かせないステップだった。そこを起点に生活の党や社民党などへ合流を呼び掛けていくことになるわけですから」(同)

 だからといって、ここまでの話し合いが挙げてすんなり運んだわけではない。2人の代表と共に合流協議に臨む枝野幸男(51)、今井雅人(54)の両幹事長も、眉間に皺を寄せ、心にさざなみを立たせ、ぎりぎりの交渉を続けていたのである。

■晴れ舞台に備えて「ダイエット」

「維新の主張は、両党が解党したうえで新しい党名で船出すべきだというもの。でも民主としてはそれは受け入れられないとし、平行線を辿ってきたのです」

 こう振り返るのは、維新所属の議員のひとり。そんななか一気に話が転回したのが、発表4日前の22日のことだった。

「岡田、枝野、松野、今井の4者会談の席で今井さんが、“党名候補をいくつかに絞って、あとは世論調査で選べばいいんじゃないですか”と提案したところ、岡田さんは、“いいですね”と乗ったのです」(同)

 岡田代表は、最大の支持母体「連合」や党重鎮の輿石東参院副議長および北澤俊美元防衛相から、「民主の名に拘(こだわ)るべきだ」と言い聞かされていたのだ。

「今井さんの話を踏まえれば、新党名あるいは略称として『民主』が生き残る可能性が大いにある。党内外をまとめやすくなると見て決断したわけです」(同)

 結果、党名を検討する協議会を立ち上げること、新党代表に岡田氏が、代表代行に松野氏が就くことがほぼ固まった。そして、3月末までに立ち上げられる新党が、約100億円の政党助成金を確保したというのも事実である。

「岡田さんは26日の晴れ舞台を前に、炭水化物ダイエットを敢行していました。表向きは“健康管理のため”と話していましたが……。かなりほっそりした姿を見せられたことに満足していましたね」(政治部デスク)

■「困ったなぁ」

 政策よりもネーミング、中身よりは見た目を代表が重視・追究している点で、言いようのないもどかしさが募ってくる。その一方で、解党せず、党名も民主から変更されないかもしれないという流れに「困ったなぁ」と渋面を作ったのは、他ならぬ維新の江田憲司代議士(59)である。それと言うのも、

「彼は、自民でも民主でもない第三極を標榜してずっとやってきた人だから。地元・神奈川県では、“しがらみがなく公務員制度についても物申せるから支持する”という声が少なくなかった。逆に言えば、労組と一体の民主と結ばれることじたい、これまで通り歯に衣着せぬ.主張ができなくなるんじゃないかと、かねてより地元から突き上げをくらっていた。新党名が民主のままとなればなおのことです」

 と、先の維新議員。

「ただ、この機会を逃すと、野党再編ができないという建前でもって、なんとか前向きにやっている」

かつての第三極のスターが苦言を呈す

■渡辺喜美氏の評は……

 どうやら、自身の選挙区ばかりが気になって仕方ないようだが、ここでかつての盟友である渡辺喜美・元みんなの党代表(63)に、江田評を聞いてみよう。

「確か2009年6月ごろのことです。みんなの党を作ろうということで、当時の民主党2トップ、菅さん(直人)と鳩山さん(由紀夫)に江田と僕とでお会いしました。“第三極になる”と伝えると、菅さんは江田に“無所属のままでいいじゃないか”“無所属で出馬すれば選挙協力がしやすい。当選後も手を結ぶ障壁が低くなる”と言ったんです」

 これにすっかり感化された江田氏は、「みんなの党には加わらない」と言い始め、無所属での出馬に含みをもたせたという。

「でも、その情報が小沢さん(一郎・代表代行)の耳に入り、江田の選挙区に民主党の候補者を擁立した。それで万事休す。彼は無所属での出馬を諦め、みんなの党に戻ってきましたよ」(同)

 返す刀で、みんなの党の同僚であり、維新所属の柿沢未途代議士も一言の下に撥(は)ね付ける。

「12年暮れの解散総選挙で、みんなの党は議席を倍増させました。しかし、柿沢はその直後から、“次の選挙はみんなの党では勝てない”と言い始めた。つまり彼もあの頃から、自分が当選することしか頭にないんです」(同)

「特集 顔で笑って心が千々に乱れた『岡田』『松野』『枝野』『江田』……票のために結婚する『民維合流』156人の初夜」より

週刊新潮 2016年3月10日号掲載

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