「共和事件」阿部文男は「山本陽子」といい仲だったのか?

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「太った男性がそんなにもてる秘訣はなんですか?」毛沢東の通訳に聞かれたキッシンジャー補佐官がニヤリと笑って答えたという。「それは権力ですな。権力は最高の媚薬です」。宮沢政権の重鎮として権勢を振るっていた阿部文男氏(元北海道・沖縄開発庁長官)が、「共和汚職事件」で逮捕されたのは1992年1月のこと。誰もが驚いたのは、武骨で知られる阿部氏と美人女優・山本陽子(73)との仲だった。

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 事件の発端は東京地検特捜部が丸紅と鉄骨加工メーカー「共和」との架空取引事件を摘発したことだった。捜査によって阿部氏が共和から賄賂として9000万円を受領していたことが明るみに出る。

「お公家集団と呼ばれる宏池会にあって自衛隊出身の阿部さんは武闘派のリーダーでした。当選6回目にしてようやく北海道・沖縄開発庁長官になると91年には宏池会の事務総長に就任。その集金力もあって、同年10月の総裁選で宮沢喜一氏を自民党総裁に押し上げる原動力になったのです。阿部さんは、まさに政権誕生の立役者でした」(地元の政界関係者)

 その阿部氏を陰に陽に支えたのが「共和マネー」である。中小企業にすぎなかった同社は、道路建設、リゾート開発と手を広げ急速に業績を伸ばしたが、その後ろにいたのが阿部氏だった。公的融資や許認可などで、阿部氏が口利きをするその見返りに、共和は会社をあげて支援した。

「選挙になると、共和の社員が駆り出され、事務所には阿部さんの大きな写真が掲げてあったものです。さらには阿部氏の運転手の給料も共和が払い、子息も社員として入社させていたのです」(同)

 共和から阿部氏に流れた金は総額5億3000万円。他に加藤紘一、塩崎潤といった宏池会の重鎮にも共和マネーが渡ったと言われた。だが、最も意外だったのは阿部氏と山本陽子との関係だ。

■200万円のウォッチ

 共和の元幹部が言う。

「あれは89年頃、赤坂の料亭でした。阿部氏は共和幹部との会合の席に山本さんを呼んで“彼女とのペアウォッチが欲しい”と共和に要求してきたのです。それも山本さんがいる席で2回も要求するものだから、共和サイドはホワイトゴールドで飾られたウォッチを三越で購入し阿部氏に届けている。金額は200万円だったと記憶しています」

 地味なイメージで女性にモテたという話もなかった阿部氏だけに、世間は驚く。

「もともと山本さんは宏池会の幹部たちと親しかったのです。なかでも阿部氏は昔から山本さんの熱心なファンで、派閥の中で力を付けるようになると、何かにつけて山本さんを宴席に呼ぶようになっていました。会合のあとに山本さんを呼んで一緒に麻雀をしたとか、記者懇談会の席では“今度連れて来るから紹介してやるよ”と自慢していたものでした」(政治部記者)

 山本にしてみれば、政治権力を握ったその姿は魅力的に見えたのだろうか。だが、このウォッチは山本に贈られることはなかった。そして、阿部氏の短い絶頂期は逮捕によって終わりを迎える。

 逮捕された時の様子を親族の1人が振り返る。

「当時は政治家得意の“雲隠れ”かとも言われましたが、本人は持病の糖尿がストレスで悪化して入院していたのです。健康のためには、ベッドに横たわったまま連行されてもよかったのですが、本人は“俺は絶対に服を着て自分の足で立って検察に行く”と言っていた」

 2000年3月、懲役3年、追徴金9000万円が確定するが、70歳を過ぎ病気を抱えていたため刑の執行は停止となる。

 訪ねてくる人も代議士時代の100分の1ほどに減ってしまった阿部氏は、函館の自宅にこもり、次第に哲学書や思想書を読みふけるようになる。クラウゼヴィッツの『戦争論』、マックス・ウェーバーやルソーと有り余る時間を濫読に費やした。

「大江健三郎さんの評論やエッセイも愛読していて、周囲の人間には“ルソーと俺は反逆者だから似ているんだ”とか、“大江さんは本当の反権力だから好きだ”などと熱心に話していたものです。周りの人たちは“自分は権力の権化だったのにね”なんて笑っていましたが」(同)

 その、阿部氏、晩年は自分の名前が世間に知られることも嫌っていた。

「“死亡記事がデカデカと載るのは嫌だ”と口にしていたし、遺言には、“葬儀は身内だけで自宅でやってほしい”、“香典は一切受け取るな”とも書き残していた。最後は肺炎でした」(同)

 享年84。権力と金を得て、美人女優も手に入れようとした阿部氏が、最期に食べたいと言ったのは、出前のラーメンだったという。

「特別ワイド 迷宮60年の最終判決」より

週刊新潮 2016年3月10日号掲載

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