東京佐川「渡辺広康」が最後まで隠した消失30億円の伝説

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 東京佐川急便の渡辺広康元社長(享年69)の人生は、バブル景気と軌を一にして暗転したと言える。絶頂期は「政界のタニマチ」として知られ、銀座や赤坂で豪遊。しかし、1992年2月、東京地検特捜部に特別背任容疑で逮捕される。その影響で晩年はカネに窮していたが、実は逮捕前、30億円ものカネを隠していたとの証言があるのだ。

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 日本中がバブルに酔いしれていた86~89年頃、渡辺元社長は連日、銀座や赤坂で遊んでいたという。

「取り巻きを必ず3~4人連れて、高級クラブをはしごしていた。一番良く通っていたのは銀座8丁目の『じゅん』。彼はシーバスバカラ、ルイ13世といった1本80万円くらいするボトルを入れていた。そんな高級酒を4、5本開けるなんてこともザラで、1回で400万~500万円使う上客として有名でした。赤坂では『川崎』という料亭を使い、韓国クラブが大好きだったね」(知人)

 典型的なバブル紳士だが、事件のスケールも桁外れだった。新聞記者が振り返る。

「渡辺らは、指定暴力団『稲川会』系企業に返済の見込みがないのに融資や債務保証をし、特別背任の総額は史上最高の約950億円に上った。捜査により竹下登に対する右翼のホメ殺し中止工作、稲川会会長の東急電鉄株買い占め、金丸信への5億円闇献金事件も発覚、金丸は議員辞職に追い込まれたのです」

 先の知人も言う。

「佐川急便をはじめ、当時の運送会社は、地域をまたいで営業する場合、役所からの許可が必要でした。そのため、渡辺さんは運輸行政に顔の利く政治家との付き合いが必要でした。彼がタニマチとして政界にバラまいた“佐川マネー”はウン百億円と言われている」

■小針にやられた

 2002年に亡くなった佐川急便の佐川清元会長は、生前、

「佐川のカネが誰にいくら配られたか明らかになれば、自民党は潰れる!」

 と、語っていたという。もっとも、佐川マネーの全容が解明されたという話は聞かないが、

「渡辺は、取調べで政治家にいくら配ったとか、余計な話は一切しなかった」 

 そう証言するのは、別の知人である。

「元々、口が堅い男だが、自分が話せば政治家に迷惑がかかると思ったのだろう。政治家との窓口となった小針暦二の話もしなかった。そのため反省が足りないと思われたらしく、小菅の拘置所では日当たりが悪く環境の良くない『北舎(ほくしゃ)』の独房に入れられた。ここには幼女連続殺人の宮崎勤もいて、どうしようもない連中と一緒にされていたんです」

 小針暦二氏とは「最後の政商」と呼ばれた福島交通会長のことだが、

「小針は金丸と姻戚関係だし、竹下、三塚博とも昵懇で、政界人脈は豊富だった。元々、渡辺は政治家との付き合いはなく、小針が全部紹介したようなもの。カネを配った先を明かせば、小針にも顔向けできなかっただろうしね」

 渡辺元社長は信義を重んじる男ということになるが、

「渡辺は元々、資金を小針に貸し付けていて、それとは別に逮捕される前、隠し金を預けたんだ。当時、佐川と大手都市銀行が共同開発したゴルフ場があって、渡辺も運営会社の株主だった。その株を銀行に買い取らせ、隠し金は30億~40億円あった。取調べでは余計なことは言わず、シャバに出たら小針に金を戻してもらう算段だったんだろう」

 渡辺元社長が逮捕から1年9カ月ぶりに保釈されたのは、93年11月19日のこと。だが、その10日程前、小針氏は急死する。

「渡辺は保釈後、手元に一銭も戻ってこないので、“小針にやられた”と激怒してました。彼が急死したため、渡辺の隠し金がうやむやになったのかもしれません」

 逮捕後、渡辺元社長は国税局から約20億円の申告漏れを指摘され、佐川急便からは50億円の損害賠償訴訟を起こされている。

「保釈されてからは、世田谷の豪邸で愛人と二人で暮らしていたが、人付き合いは殆どしていなかった。その豪邸も00年に競売にかけられ、手放しています。02年、渡辺は、小針の遺族から預かっていた浮世絵コレクション、約400点を宗教団体に数億円で売却しています。やはり、お金に困っていたんでしょうね」

 03年3月、最高裁で懲役7年の実刑が確定。だが、膀胱がんのため、収監されることはなく、04年1月に亡くなった。泉下で、小針氏に「カネ返せ」と迫っているのだろうか。

「特別ワイド 迷宮60年の最終判決」より

週刊新潮 2016年3月10日号掲載

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