“「もし自分の論文だったらすぐに引っ込める」と言っていました” 〈「笹井副センター長」未亡人インタビュー(3)〉

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 理化学研究所のCDB(発生・再生科学総合研究センター)副センター長だった笹井芳樹氏(享年52)の未亡人が「自殺の真相」を語る。小保方晴子氏(32)との“関係”を報じる記事など、当時の過熱したマスコミ報道により「次第に追い詰められるようになっていったのです」と言う未亡人。が、笹井氏の精神的な負担となった出来事は、それだけではなかった。

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「加えて、論文に瑕疵が発覚した後、主人は著者たちの足並みの乱れにも苦労していました。論文を取り下げるか否かという議論の時も、自分の論文なら良いですが、いろいろな著者がいるので、無闇勝手に判断ができません。『あれがもし自分の論文だったらすぐに引っ込める』とは言っていましたけど、主人は責任著者の一人で、筆頭著者でもありませんでしたから。

 ハーバードの共著者は撤回したくないと言い、一方で(責任著者の)山梨大の若山(照彦)教授はちょっと慌てていらっしゃったのか、何かある度に個人的に意見や見解を発表してしまわれていた。若山先生の所属は大学なので、広報やスポークスマンの対応が追いつかず、先生は自分で対応するしかなかったためか、だいぶ混乱していらしたのだと思うんです。ただ、主人がその度、連絡や調整に追われていた部分はありました。4月に記者会見をした時も、若山先生と一緒に行うつもりが、調整が付かず、結局、先生はなしで行いました。本当なら、理研なら理研一本に絞って、この問題へのスポークスマンを立て、公式な情報をきちんと出し続けていれば良かったのだと思います」

 妻の独白は続く。

権限はあったのでしょうか

「しかし、それより何より、一番ダメージを受けたのは、CDBの解体でしょう。

 主人はCDBには立ち上げの時から、ゼロから携わっていましたので、それは相当な思い入れがありました。提言がなされた時は、家でも『どうしよう……』と非常に落胆していましたよ。CDBの規模が縮小されれば、異動される方、そして職を失う方も出てくる。その面で、直接的な迷惑をかけてしまったということが、主人にとっては一番辛かったみたいですね。

 これは私の思いですが、『改革委員会』に果たして解体まで決める権限はあったのでしょうか。委員会の人たちも、はじめは『ソフトランディング』と言っていたのに、最後はずいぶん感情的な結論になってしまったな、という気がしています」

(4)へ続く

週刊新潮 2016年2月11日号掲載

「特集 『あの日』から初めて口を開いた! 黒い割烹着『小保方手記』に『笹井副センター長』未亡人単独インタビュー」より

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