北朝鮮の暴発「水爆実験」に拍車をかけた“大物怪死”と“軍のきしみ”

国際 韓国・北朝鮮

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 お屠蘇気分も醒めやらない1月6日、文字通り“メガトン級”の衝撃が世界中を駆け巡った。

 北朝鮮国営の朝鮮中央テレビはこの日、“特別重大報道”と銘打って、「わが国は最初の水素爆弾実験を成功させた」と発表。ご承知の通り、水爆は原爆の100~1000倍もの威力を誇る、いわば“最終兵器”だ。もし、これが事実であれば“ならず者国家”が新たな、そして、究極の殺戮兵器を手にしたことになる。

 実験の舞台となったのは過去3回の核実験と同じく、中国との国境に近い、北朝鮮北東部・豊渓里(プンゲリ)の核実験施設である。日本をはじめとする関係各国は“水爆”の真偽を探るのに躍起だが、とはいえ、専門家の見解はこの発表がマユツバという点で概ね一致している。韓国国防省で分析官を務めた、高永(コヨン)チョル・拓殖大学客員研究員はこう語る。

「核実験で発生した地震の規模はM5程度とされていますが、水爆であればその程度のインパクトで済むはずがない。水爆実験は周囲への甚大な影響を考慮して、砂漠や海の岩礁などで行うのが一般的です。発表されたように実験が施設の地下で行われたのなら、水爆の可能性は低いと思われます」

 爆発の規模も6・0キロトンと推定され、前回の原爆実験の7・9キロトンすら下回る。

 他方、北朝鮮情勢に詳しい、早稲田大学の重村智計教授によれば、

「そもそも、北朝鮮の発表では“試験用水爆”という表現を使っている。自ら水爆もどきだと仄めかしているわけで、本当に水爆実験だったかを論じても意味はない。むしろ、なぜいま、核実験に踏み切ったのかが重要です。端的に言えば、今回の実験には2つの理由がある。まずは中国に向けたサインです」

■金正恩の焦り

 金正日政権下を含め、北朝鮮は過去3回の核実験で中国への事前通告を欠かしたことがない。ところが、今回はお目付け役であり、最大の後ろ盾でもある中国を無視する格好で核実験に踏み切った。その背景には、第一書記の焦りが見え隠れする。

「金正恩は今年5月に開催される36年ぶりの党大会に並々ならぬ意欲を燃やしています。ただ、党大会を成功に導くには、中国との関係改善が不可欠。金正恩としては、事前に懸案の訪中を果たし、党大会に習近平国家主席を招いて援助の確約を取りつける計画だった。しかし、ここ最近の中国の対応は北朝鮮のメンツを潰すものでした」(同)

 昨年12月12日、韓流アイドルグループさながらのセクシー衣装で耳目を集めた“モランボン楽団”の北京公演がドタキャンされる。

 この美女軍団の派遣は金正恩訪中の足掛かりになると囁かれてきたが、

「直前に金正恩が水爆保有発言をしたせいで、中国共産党幹部が楽団の公演に出席しないことが決まった。実は、北朝鮮の労働新聞は楽団を帰国させた後、2度に亘って金正恩の水爆発言を掲載しています。つまり、核実験をチラつかせながら、訪中実現に向けた交渉を続けてきたのです」(同)

 だが、核実験の2日後に33歳の誕生日を迎えたとされる若き独裁者は結局、訪中を発表することができず、代わりに世界を震撼させる暴挙に及んだのである。

■軍に負けた

 さらに、金正恩に起爆スイッチを押させた理由がもうひとつあるという。それは軍との軋轢だ。

「金正恩は今回、“軍に負けた”と言うことができます。金正恩は第一書記の座に就いて以来、権力基盤である党を強化して、軍の勢力を削ごうと考えてきた。党大会の開催にこだわるのもそのためです。ただ、金正日体制の頃から絶大な権力を有している軍を抑えるのは容易ではない。米中との交渉を優先する金正恩は、核実験を急かす軍に“待った”をかけてきた。しかし、中国からソデにされたことで、軍を制する口実がなくなってしまったわけです」(同)

 瀬戸際外交を続ける金正恩はそのウラで、身内の軍によって土俵際へと追いやられていたのだ。加えて昨年末、窮状に拍車をかける“怪死事件”が発生した。

■謀殺の可能性

 公安関係者によれば、

「北朝鮮は、昨年12月29日に金養建(キムヤンゴン)・統一戦線部長が交通事故で死亡したと発表しました。彼は金正日時代から主に対韓国政策を仕切ってきた大物です。昨年10月の朝鮮労働党創建70周年式典では、列席した中国共産党のナンバー5・劉雲山の相手をするなど、中国とのパイプ役も務め、金正恩の訪中交渉の担い手と目されていた」

 日本の朝鮮総連との関わりも深く、一昨年10月に許宗萬議長らが訪朝した際には、この人物が金正恩からの親書を手渡している。

 当初、一部の韓国メディアは事故に見せかけた“粛清”と報じたが、コリア・レポート編集長の辺真一氏は異なる見方を示す。

「金養建の死を悼んで国葬が営まれ、直々に葬儀委員長を務めた金正恩は遺体を前に涙ぐんでいた。これは自ら粛清を指示した相手への対応ではありません。では、本当に交通事故だったかと言えば、それも違うと思います」

 怪死の謎を解くカギは、ここでも軍の存在にある。辺氏によると、金養建はこれまで様々な場面で軍の尻拭いを任されてきたという。

「たとえば昨年8月、“38度線”の非武装地帯で、北朝鮮軍が仕掛けた地雷を踏んで、韓国軍兵士が足を切断する事件が起きました。両国は一触即発の事態に直面するのですが、金養建は3日間に亘る交渉で韓国側と話をつけ、北朝鮮が遺憾の意を表明することで事なきを得ます。しかし、この結末を軍は北朝鮮側の敗北と捉えた。合理的な考え方をする彼は、今回の核実験を前に金正恩を諌めたはずです。その結果、核実験を強行したい軍に謀殺された可能性が高い」(同)

 金養建が死亡したのは核実験から遡ることわずか8日前。人影もまばらな午前6時過ぎに視察先から車で戻る途中、軍のトラックと衝突事故を起こしたとされる。あまりにも不可解な“事故”だが、将軍様に対する軍からの“脅し”と考えれば確かに辻褄が合う。

「特集 『張り子の水爆』で『金正恩』第一書記の残日録」より

週刊新潮 2016年1月21日号掲載

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