陽気な明治天皇 臣下に食事を分け与え 宮殿全体がひとつの家族のようだった

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「おすべり」とは何か、と聞かれて首をかしげる人も、「おさがり」と言い換えればわかるだろう。宮中では天皇皇后からいただくものをおすべりという。『天皇陛下の私生活 1945年の昭和天皇』の著者、米窪明美さんが解説してくれた。

「これをみんなで、というときは『おすべり』で、特定の誰かにこれを、というときは『くだされ』というんです」

 あらゆるものが対象になるが、たとえば、天皇皇后が使う箸は柳箸。つまり、割り箸だ。それを1回で捨てずに何回か使って、箸の先が煮物の汁などでにじんでくると、おすべりで料理人の菜箸になる。

「とりわけ食事のおすべりには、君主と宮廷の性格が反映していました。両陛下のお食事というと、懐石料理のようにほんのちょっぴりずつ、美しくお料理が盛りつけられているイメージを抱く方が多いのではないでしょうか。ところが明治時代は、大きなお皿に驚くほどの量が盛られていたんです」(米窪さん)

 夕食だと、鱚のつけ焼き、牛蒡の煮付け、茄子の丸煮など、庶民的な献立ながら20種類以上の品々が並んだというから壮観だ。

「そこから女官がほんの少しだけ天皇皇后の皿に取り分けるや否や、よく気がつく明治天皇は『これは誰にやれ』『こちらは誰にやれ』など、てきぱきと指図しました。酒を傾けるにつれて天皇はどんどんと陽気になり、皇后や女官相手に冗談を連発。宮殿のそこかしこでおすべりの酒や料理を囲んで臣下たちも賑やかに騒いでいたようです」(同)

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 おすべりは、天皇から臣下への思いやりの気持ちをあらわすものとされ、同じ料理を食べることで和気藹々とした雰囲気作りに一役買っていた。ちなみに、明治天皇は糖尿病であり、昼食の献立は砂糖の使用量を抑えるため洋食が多かった。おすべりで洋食を食べるうちに女官たちもすっかり洋食好きになったという。

天皇のプライバシーという意識

 昭和になっても相変わらず「おすべり」は存在していたが、大皿に十数人分をたっぷりと盛り付けるようなことはせず、あらかじめ厨房で天皇皇后の分と臣下の分とを取り分けていた。

 大きなお皿に驚くほどの分量が載っていた明治の宮廷と、1人に1人前ずつぽっちりと品よく盛りつけられた昭和の宮廷では、臣下への「おすべり」の形式が異なるのだ。

「明治の宮廷では、天皇の周囲に常に多くの人々が控えていて、およそプライバシーというものがありませんでしたが、それが当たり前でした。身分の差こそあったものの、宮殿全体がまるで一つの家庭のようで、いつも笑いが絶えなかった。大きなお皿から同じ料理を取り分けるスタイルは、天皇皇后を中心とした大家族の雰囲気をよく表しています」

 米窪さんはそう解説する。

「昭和天皇も多くの人々に囲まれて生活していましたが、近代的な教育を受け、外遊を経験し、君主といえどもある程度のプライバシーはあるべきだと考えていました。だから、皇后や子供たちとの時間をことのほか大事にしており、家族団欒の様子は世間一般のそれと変わりません。1つのお皿に1人前ずつ盛りつけられたスタイルは、従来の伝統を受け継ぎつつも、個というものを大切に考え始めた昭和の宮廷を図らずも表しているのです」

デイリー新潮編集部

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