没後3年でひっそりと閉館する「森光子一座」記念館の収支決算

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 虎は死して皮を留め、人は死して名を残すとは言うが、国民的女優だった森光子はそれだけに留まらず、遺品などを展示する記念館も残していた。しかし、没後3年が経ち、ひっそりと閉館することに。果たして、収支決算はどうだったのか。

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 石川県加賀市にある山中温泉の歴史は古く、1300年前の奈良時代にまで遡る。その地の一角にある、森光子一座記念館は12月30日、その幕を下ろすことになった。

森光子一座記念館

 田中實館長が振り返る。

「13年前、私が山中町の町長だったとき、“山中座”という観光施設をつくりました。森さんに無理を言って、そこの名誉座長になってもらったのが、お付き合いの始まりです。それからは、舞台の楽屋やご自宅にも伺うようになりました」

 記念館の話が持ち上がったのは、森が92歳で他界する半年ほど前のことだった。

「森さんから、“東京に出て来られない?”と電話があって事務所を訪ねると、“舞台に立てなくなってしばらく経つし、もう思い残すこともない。頂いた文化勲章や国民栄誉賞の品々、それから着物なども、どなたかにお預けしようと考えている”と切り出されました。重ねて、それはあなたしかいないから、どこかで展示できないかと言われたのです」(同)

■遺言状

 そして、森光子一座記念館は13年4月末にオープンする。森がこの世を去った、約5カ月後のことだ。

 田中館長が続ける。

「もともと、信用金庫が入っていた空きビルを借り上げ、遺品をトラックで運び込みました。『放浪記』の衣装や舞台セットなどは、東宝から貸してもらった。開業資金には700万円くらい必要でしたが、かつての支援者が5人、100万円ずつ出資してくれました。この2年8カ月の間に、来ていただいたお客さんは約8万人にもなります。『放浪記』に出たことのある役者さんも何十人とお見えになり、なかにはワンワンと泣き出す方もいました」

 入館料は、大人500円、中高生400円、5歳以上の子どもは300円である。

「ビルの賃料や2人のスタッフの給料、ほかに、遺品には保険をかけていたので、収支はトントンといったところです。赤字で閉めるわけではなく、そもそも、この建物は道路の拡張工事で立ち退きが決まっていて、最初から2年の契約期間だったものを8カ月間延ばしてもらっていたのです」(同)

 今後、記念館に展示してあった遺品はどうなるのか。

 それについては、森が所属していたオフィス・モリの関係者が説明する。

「森さんにとって、血の繋がった親族は、事務所の社長を務めていた甥しかいませんでした。ただ、生前、生活に困らないだけのものはすでに渡しているからと、なにも相続させなかった。実は、森さんは遺言状を残していて、そこには“一般財団法人を設立し、すべての遺品遺産はその所有とする”と書かれていた。ですから、山中温泉の記念館が閉館すれば、『放浪記』の衣装や舞台セットなどは東宝にお返しし、他の遺品は『一般財団法人森光子芸能文化振興財団』が管理することになっています」

 しばらく、国民的女優の思い出の品々は倉庫でホコリを被ることになりそうである。

「ワイド特集 敵もさる者 引っ掻く者」より

週刊新潮 2015年12月31日・2016年1月7日新年特大号掲載

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