近いか遠いか東京から2100キロ! 北京の汚染大気に侵される「日本列島」は大丈夫か?

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 北京市が赤色警報を出したのは12月7日のこと。これは同市が定めた、大気汚染の深刻さを表す4つの警報のうち最悪のもので、それが初めて出されたのだ。

 翌朝発表された北京中心部での微小粒子状物質PM2・5の濃度は、1立方メートル当たり268マイクログラムと、日本の基準値の7倍を超えていた。だが、実は赤のひとつ手前のオレンジ警報が出された11月30日には、その3・5倍近い976マイクログラムを観測していたのである。

「赤色警報は、深刻な大気汚染が72時間以上続くと予想されると発令されるものですが、11月末には72時間以上続いたのに、オレンジ警報で終わった。それで突き上げがあったため、今回は赤色を出したのではないか、と言われています」

 そう語るのは、中国事情に詳しいジャーナリストの高口康太氏だが、ともかく、いまの北京の空気のひどさは尋常ではないようで、

「日本からPM2・5対応のマスクを送ってもらっていますが、マスクをして外出しても、閉鎖された工場のような臭いが伝わってきます。マスクが悪いわけじゃない。日本の基準値は35マイクログラムで、800とか1000なんて数字は想定していないでしょうから。汚染がマスクの性能を超えてしまっているのでしょう」

 そう言って咳き込むのは、産経新聞中国総局特派員の矢板明夫氏である。

「外は煙突のなかのようで、駐車場では、どこに車を停めたかわからなくなって彷徨っている人が大勢いるし、飛行機のクルーたちは北京空港で、自分たちが乗る飛行機の場所がわからないという冗談のような話まで聞きます。ですが、屋内が安全というわけでもない。私が通っているスポーツジムなど、空気清浄器の値を見たら300マイクログラムですよ」

 これほどの状況で、住人に健康被害が生じないはずはなかろう。

「私の友人のお子さんが咳が止まらなくなり、明け方4時ごろ、病院の救急外来にタクシーでかけつけたら、咳き込む子供と親であふれ返っていたそうです」

 と矢板氏は続けるが、そこは中国。もはや隠しようがない環境汚染ですら隠そうとするのだという。

「劣悪な空気のなか、お年寄りや喘息を患っていた人など亡くなられた方は多いと思いますが、そうした情報は開示されないから、何人亡くなり、何人病院に運ばれたのか把握できません。中国の報道機関は大気汚染についてほとんど報じないし、個人ブログも大気汚染に触れると、書き方次第では削除され、身柄を拘束される可能性もある」(同)

 だが、むろん隠し通せる話ではない。慶応大学医学部の井上浩義教授が言う。

「WHOが発表した数字によると、中国の大気汚染の影響で、主に肺疾患と循環器疾患によって、毎年7800万人が寿命を縮めているといわれます。また、同じくWHOがまとめた『世界がん報告』によると、2012年に世界全体で新規に肺がんを患った人の36%が中国人でした」

 中国社会が転覆してしまいそうな数字だが、井上教授によると、その前に政権基盤を揺るがす問題になりうるという。

「北京は比較的富裕層が集まった都市ですが、そういう人たちが健康被害を受けたうえ、工場の操業を停止させられるとか、経済活動まで制限されている、そんな環境政策しかできない政府はいかがなものか、という不満が出てきています」

 政府が報道やブログにピリピリするわけである。

■体内に蓄積するばかり

 梅原龍三郎の絵画「北京秋天」には、高く青く描かれていた北京の空。それがすっかりPM2・5に覆われてしまった理由だが、

「エネルギーが石炭だからです。中国には石炭が大量に埋蔵され値段も安く、今なおエネルギー源も暖房の燃料も石炭中心です。石炭を燃やすと亜硫酸ガスが発生し、空気中で化学反応を起こし、粒子になります」

 と、東京農工大学大学院の畠山史郎教授。井上教授が補足するには、

「ガソリンを含めた中国の石油製品は、窒素や硫黄などの含有率の基準が日本の5倍ゆるい。要するに、ガソリンが汚いのです」

 とりわけ、晩秋から冬にかけて汚染がひどくなる理由を、気象予報士の森田正光氏に尋ねると、

「放射冷却によって地表が冷やされ、上空の温度のほうが高くなる“逆転層”という現象が起きて、温かい空気が布団のように覆い被さります。すると風が吹かないので、大気中の粒子がずっと北京に留まってしまうのです。おまけに寒い朝は、どの家庭でも暖房のために石炭を燃やすので、粒子の量が増えます」

 では、それは日本にどう影響するのだろうか。

「PM2・5は北京上空の高気圧が去ったあと、低気圧の後ろの寒冷前線に引っ付いて日本にやってきます。低気圧も高気圧も1日に1000キロほど移動しますから、北京の上空を低気圧がすぎてから1日半から2日で関東にやってくる。すでに北海道で基準値を超えましたが、これから増え、ピークは2月から3月下旬まででしょう」(同)

 井上教授によれば、中国で発生したPM2・5は、

「多くは途中で雨と一緒に日本海に落下しますが、それでも5〜40%は日本に到達します。6月など雨が多い月は5%、2月のように雨が少ない月には40%ということです」

 とはいえ、北京のように粒子が滞留するわけではないから、畠山教授は、

「リスク自体、そこまで高くないことをまず認識していただきたい」

 と説くが、ただし、である。井上教授が言う。

「PM2・5は体内に入ると排出されにくく、蓄積するばかり。大きな埃は繊毛が痰と一緒に外に出してくれますが、PM2・5は繊毛をすり抜けて肺胞に到達し、そこから血管に入って血管を詰まらせます」

 教授によれば、血管が詰まれば心不全や脳梗塞に、肺に届いた粒子が炎症を引き起こせば肺がんにつながるという。また、消化器官にも悪影響を及ぼすそうだ。吸わないに越したことはないのである。

 さらに、花粉と混じると厄介だと話すのは、埼玉大学大学院の王青躍准教授。

「PM2・5の粒子は硫酸塩や硝酸塩が多いので、水を含みやすい。花粉は水分を吸収すると破裂し、なかのアレルゲンが飛び出します。通常、アレルゲンを出すのは飛んでいる花粉の3割程度ですが、PM2・5が飛散している大気中では、8割もの花粉がPM2・5とくっついて破裂し、アレルゲンを放出します」

 すなわち、花粉を吸った人は、先に触れたような病気のリスクを負うわけだ。

 我々にできることはなにか。井上教授が語る。

「一番簡単なのはマスクをすること。2月には不用意に窓を開けない。布団を干したらしまう前に叩く。また、実はPM2・5を家のなかに持ち込む最大のルートが靴なので、玄関前で靴を脱いで叩いてから家に入るといい。屋内にいるときは空気清浄器をつけておくのがいいでしょう」

 この傍若無人な“領空侵犯”を食い止める手立てがない以上、個々に身を守るしかあるまい。

週刊新潮 2015年12月24日号掲載

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