犯人は黙秘権を行使 被害者遺族の裁判参加に大反対 「日弁連」が冊子を配った「死刑囚弁護」の醜い方針

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 弁護士法の第1条には、弁護士の旨として社会正義の実現を使命とすべしと記されている。ところが、他でもない日本弁護士連合会自体がそれを妨げているのではないのか。加害者の死刑判決回避のみに汲々とし、被害者遺族の心情を蔑(ないがし)ろにする冊子を配っていたのだ。

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日弁連が配った冊子『死刑事件の弁護のために』

 裁判とは、「真実」を焙り出し、「正義」が問われる場ではなかったのか。

 しかしながら、誰もが当り前だと信じているその常識が肝心の日弁連には通用しなかった。

 10月9日、日弁連は、『死刑事件の弁護のために』というA4判110ページの冊子を作成し、全国の弁護士会に配布している。

 その中身だが、

〈裁判員・裁判官に死刑の選択を回避させること、それが死刑事件弁護の唯一最大の目標である〉

 と始まり、

〈被疑事実そのものに争いのない事件であっても、黙秘権の行使が原則である〉

〈否認事件や正当防衛事件等では、(被害者の裁判)参加そのものに反対すべきである〉

 などと明記され、最後には、

〈知恵を出し合い、技術を磨きあうことによって死刑判決を一つでも多く減らしたい。死刑確定者の執行を1日でも遅らせたい〉

 と締め括っている。

 要するに、依頼人が死刑判決から逃れるためならば手段は選ばず、というわけなのだ。

 日弁連が配った冊子について、オウム真理教による地下鉄サリン事件で夫を喪った高橋シズヱさんは、

「なによりも問題なのは、被害者遺族の裁判参加に異を唱えていることです」

 と、憤然としてこう語る。

「今年3月、教団元幹部の高橋克也被告の裁判で、私は、“人生で後悔していることはありませんか?”と直接問い質すことができました。彼の弁護士は“教祖に唆されたのではないか”などと裁判員に対して罪を軽くするためのアピールばかり。私は、高橋被告が事件に向き合い、反省しているかどうかを知りたかった。結局、彼は黙して語りませんでしたが、検察官よりも被害者遺族の声の方がいつか彼の胸に届き、犯した罪の重さに気づかせてくれるはずなのです」

 だからこそ、日弁連の打ち出した方針は容認できないという。

 そもそも、被害者やその遺族の裁判参加制度が取り入れられたのはほんの7年前、2008年12月からに過ぎない。

 制度導入に奔走した、岡村勲弁護士が述懐する。

「1997年10月、代理人を務めていた証券会社とトラブルになった男から私は逆恨みを買い、妻を殺されました。犯人は捕まり、やがて公判が始まった。私は妻の最期の言葉、私の名前を呼んだのか、それとも、悔しいと漏らしたのか、それが知りたかったのです」

 それまで、数多くの刑事事件も担当し、被疑者の調書や証拠品に目を通してきたが、初めて被害者側に立ってみて、裁判所から公判日程さえ伝えられず、公判記録の開示も断られたことに愕然としたという。

「加害者が妻を侮辱する発言をしても反論する機会はなく、まるで、妻は事件の証拠品のように扱われました。しかも、死刑判決は言い渡されず、私は怒りに震えた。そこに、法務省が準備していた犯罪被害者保護法案が追い打ちをかけてきた。被害者遺族に公判記録の閲覧を認めるのは、“損害賠償請求権の行使のために必要がある”ときとされていたのです。冗談ではない、公判記録を見せてくれと言っているのは真実を知りたい一心からであって、おカネ欲しさからではありません」(同)

 そのため、光市母子殺人事件の被害者遺族である本村洋氏らとともに、00年、“犯罪被害者の会”を立ち上げ、被害者の人権を守れる司法制度に変えようと活動し、全国で56万人の署名を集めたという。

「03年には当時の小泉純一郎総理にも実状を訴えました。地道な活動を続けたすえに、ようやく、被害者側が裁判に参加できる制度を勝ち取りました。日弁連は今回、それを否定したわけです。でも、私はいまさら驚きません。私たちの活動に、日弁連は大反対キャンペーンを展開しました。結局、彼らは加害者の弁護で生活しているわけですから、被害者は仕事の邪魔以外の何ものでもないのです」(同)

弁護士会館

■死刑制度の見直し

 日弁連は、加害者の人権を優先するあまり、弁護士というものの本来の在り方、その目的を見失っているというほかない。

 しかし、その加害者にも悪影響を及ぼしかねないと話すのは、元裁判官の井上薫弁護士である。

「なんでも、被告に黙秘させればベストということではありません。むしろ、反省の情を述べた方が利益になることもある。加えて、遺族の神経を逆撫でするような対応をすれば、裁判官の心証を悪くするだけです。死刑になり得る裁判というのは、やはり特殊ケースですから画一化には馴染みません。にもかかわらず、日弁連の冊子をバイブルのように扱えば、臨機応変な弁護活動の妨げになるだけです」

 なぜ、日弁連はナンセンス極まりない冊子を配ったのか。

 犯罪被害者支援弁護士フォーラム事務局長の高橋正人弁護士はこう指摘する。

「この冊子を作成するうえで契機となった一つが、11年に高松で開かれた『第54回人権擁護大会・シンポジウム』ではないでしょうか。そこで、日弁連は死刑制度の見直しを明確に宣言しました。日弁連にとって、裁判で被告に死刑を求める被害者遺族の存在は目障りでしかない。だから、裁判参加に反対すると思われても仕方ありません。本来、弁護士の責務は事件の真相究明であり、延いては社会正義実現ですが、いまは被害者の尊厳にも配慮すべき時代です。日弁連のスタンスは時代遅れです」

 さて、当の日弁連に聞くと、

「刑事事件にかかわる弁護士からの要望があり、5年以上前から研究した結果を冊子にして配布しました。被告に黙秘を勧めるのは、裁判では供述調書が重きをなすからで、また、被害者の裁判参加については頭から否定しているわけではなく、適切な弁護方法が必要だと考えているからです」(内山新吾副会長)

 結局、日弁連は司法制度への信頼を損なっただけだったのだ。

週刊新潮 2015年10月29日号掲載

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