舌がんに打ち克った「ケーシー高峰」の後半生

ドクター新潮 医療 がん

  • ブックマーク

Advertisement

 医事漫談のケーシー高峰さん(81)も、舌がんを早期発見し、完治させている。

 彼が舌の異変に気付いたのは05年5月。舌の左右両端に、直径1ミリ弱の白い粒が見えた。

「1年前から何を食べても旨みが感じられないから気にはなってたんだ。小さな粒だから、見逃す人もいるだろうけど、僕はほら、一応医学部にいたことがあるから、がんに移行する白板症だ、ぐらいは知っていた」

医事漫談のケーシー高峰さん

 大学病院で検査を受けたところ、やはり舌がんだった。もっとも、ショックはあまりなかったという。

「予想していたし、初期だからね。治りも早い」

 手術時間は40分弱。術後1週間は話せないのだが、3日目に舞台の仕事が入っていた。

「出たよ、パジャマにマスク姿で。それでまず大ウケ。黒板で手術の説明して、しゃべれないから『おぼん・こぼん』の2人に僕の台詞を話してもらったんだ」

 とはいえ、いつまでも助っ人に頼れない。リハビリには人一倍精を出した。

「紙を渡されて、“い、は、に、ろ、か……”と読んでいく。そこで僕は、“先生、別のを書いてきました”って。読んでごらんと言うから“お、ま、○、○”“バカ!”……。こんなことの繰り返し。入院中はネタばかり考えて、医者や看護師をつかまえては披露していた。これがいいリハビリになって、術後10日目で普通にしゃべれるようになった」

 取材当日は、静岡県駿東郡小山町の敬老会での仕事が入っていた。聞けば9月は全国をしゃべり歩いており、福島県いわき市の自宅に帰れたのは6日間だけ。

「がんになってからのほうが仕事増えちゃった。ネタが増えたし、お客さんとの距離がぐんと近くなったからね。身を乗り出して聞いてくれるんだ」

 持ち前のサービス精神からダジャレがよどみなく口をつき、舌好調の取材中、一度だけキリッとした表情になったことがある。がんの治療中で不安そうな人を見ると、励ます――そう言ったときだ。

「治ると信じて治療しなさい! 僕も治ったから!」

 ともに医師だった母親と兄が患者の手を取って、こう元気づけていたのを思い出すという。

「言葉で患者さんの気分は変わるからね。そういう医者、少なくなったよな」

「特別読物 がんに打ち克った5人の著名人の後半生」より

ケーシー高峰
1934年山形県生まれ。白衣姿の医学漫談で名を馳せた。日大芸術学部では宍戸錠と同期。当初は医学部へ入ったが、転部した。

西所正道(にしどころ・まさみち) 1961年奈良県生まれ。著書に『そのツラさは、病気です』、近著に、がんを契機に地獄絵に着手した画家を描いた『絵描き 中島潔 地獄絵一〇〇〇日』がある。

週刊新潮 2015年10月15日神無月増大号掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。