鬼怒川決壊の折も折「太田国交相」は「資金集めパーティー」にご出席

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 公明党の支持母体・創価学会は「生命の尊厳」を根本哲理に掲げている。そのプリンスと言われた太田昭宏・国交相(69)が、先の「関東・東北豪雨」において取った行動は、教えに則ったものだったのか。数多(あまた)の生命が危機に瀕した「鬼怒川決壊」の折も折、その管理者たる大臣は、自らの「資金集めパーティー」に出席していたのだ。

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池田名誉会長は何を思う……

〈私は10日未明からこの災害に対応し続けています〉

 太田氏は自らのブログでそう記している。

 台風18号に端を発する大雨によって鬼怒川堤防が決壊したのは、9月10日の昼12時50分のことだ。茨城県の常総市だけで死者2名、避難指示や勧告対象者は3万4000人にも上る大災害。それに「対応し続け」たのだから、さぞ大臣は素晴らしい働きをしたであろうと“誤解”してしまうのだが――。

「実は大臣、決壊の瞬間は、自分の政治資金パーティーの席にいたのです」

 と言うのは、太田氏の後援者の1人である。

 麹町のホテルで行われた、その〈太田あきひろ 2015政経セミナー〉は、午前11時の開始で、会費は1万円。前半は国交省OBによる講演、後半は昼食付きの懇談会が行われたという。

 後援者が続ける。

「出席者は200名ほど。太田さんは冒頭で“常に国交省と連絡を取って大雨には対応している”などと挨拶し、霞が関に戻りましたが、1時間ほどで講演が終わった後、会場に戻ってきて、参加者と懇談を始めたんです。しかし、堤防決壊の一報が入ったのでしょうか、13時頃には慌ててまた会場を飛び出していきましたね」

■国民より支援者

 当時の常総市が置かれていた状況を振り返ってみる。

 鬼怒川が氾濫危険水位に達したのは、前日の9日23時30分。常総市に避難指示が出たのは10日2時20分。6時過ぎには、鬼怒川の一部で堤防を水が越えてあふれ始め、気象庁が茨城県に大雨特別警報を発したのは7時45分。茨城県知事が自衛隊に災害派遣要請をしたのは8時30分……。

 すなわち、パーティーが始まる段階で、現地は既に緊迫の最中にあった。それを知った上で、太田氏は2時間に2度も資金集めの場を訪れていたことになる。代わりに秘書に挨拶をさせる、などの策はいくらでもあったにもかかわらず、だ。

 太田氏の事務所に問うと、事実関係を認めた上で、「主軸はあくまで、国交省の防災センターを拠点とした諸対応においておりました」と回答。しかし、

「大臣の取った行動はお粗末の一言に尽きます」

 とは、危機管理コンサルタントの田中辰巳氏である。

「災害対策は1分1秒を争う局面がいくらでもある。常に集中して情報を集め、即座に判断を下せなければ意味がないんです。近くとはいえ、対応拠点を離れて良いわけがありません。これでは国民ではなく、政治資金を出してくれる支援者を優先したと見られても致し方ないでしょう」

 果たして、このレベルの危機管理意識の人物がその任にふさわしいか否か――。少なくとも、復旧に苦心する被災者から「ノー」を突きつけられるのは、確実と言えそうだ。

「ワイド特集 浮沈七度の決算書」より

週刊新潮 2015年10月8日号掲載

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